研究概要 |
本研究は中・近世のドイツに特徴的な領邦の形成を、貴族身分の展開と関連させて考察したものである。まず貴族史研究の動向を批判的に検討し、東南ドイツの実証的研究によって、11,12世紀の領邦形成の最初期段階に関して次のような新しい解釈を提示した。すなわち、広域的な共系的親族関係や所領分布、活動を示す従来の伯家系を中心とする有力貴族が、12世紀初には次第に単系的な父系家門へと親族構造を変化させ、同時に所領と活動を地域化する傾向を示した。こうした貴族の新たな存在形態と活動が、当該地域の「平和・秩序」への関心を高め、ランデスヘルの指導・圧力の下に政治的(法的・軍事的)共同体としての領邦(ラント)を形成していったことを、オーストリア・バイエルンに関して明かにし得た。次いで12世紀後半〜13世紀を、ミニステリアーレン・騎士が新たな、かつ数的に優勢な領邦身分として登場する領邦形成の第二段階と設定した。そして、なぜミニステリアーレンが、またいかにして領邦の人的基盤たりえたのかを解明することが、ヨーロッパにおけるドイツ領邦の歴史的位置づけを明かにするために不可欠であることを確認し、ミニステリアーレン・騎士・貴族の関係、とりわけミニステリアーレンの上昇、騎士理念を通じての貴族への接近、領邦ごとの多様性を多面的に考察した。そこで重要な点は、ミニステリアーレンは在地領主化しつつも、13世紀にはなお主人=領邦君主に従属し、様々な制約・拘束(結婚・財産処分等について)に服す存在であり、そうした「二面性」は、ミニステリアーレン・領邦君主双方にとって互恵的な関係として認識されたことである。こうした自由な封臣制とは異なる人的結合を基盤としえた点に、ドイツ領邦制の歴史的特性が認められるのである。
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