研究概要 |
イタリアの都市同盟は、ドイツ・ハンザの経済的同盟と比較して、帝国支配に対抗する政治的な同盟と見られてきた。しかし、同盟結成の12世紀は都市が地域の中心地や国際的商業ネットワークの結節点として大いに発展を遂げた時期、特に、地中海-北イタリア-ヨーロッパに至る国際交易の流れが経済的繁栄をもたらした時期であった。皇帝側はこのことに注目したし、諸都市の同盟結成の背景にもこうした経済的動機が推測される。そこで、以下の当時の直接史料:1.皇帝側の国王証書、事績、年代記等(diplomata,gesta,cronaca etc.)、2.都市側の公的記録類(statuti,concordia etc.)、3.都市市民の書いた文書類(annales,cronica etc.)、4.文学的作品(Ligurinus,Carmen etc.)などの分析から次のことを明らかにした。 1.皇帝側は関税徴収権、貨幣鋳造権などの特権の授与の仕方に一定の経済・財政的政策をもっていた。2.都市側も国際的な通商の流れにどう乗るか苦慮し、これまでの経済的権益を守る意味からも同盟を促進した。3.同盟の運営は軍事的守備が前提であったが、川・海の航行の自由や関税の相互免除など共存共栄の経済政策を持とうとした。4.他方、領域内の築城権、軍事権、徴税権、裁判権などは相互に尊重し、都市の領域の収斂度を出来るだけ高めようとした。5.コムーネや同盟を支えた都市の指導層では土地領主層だけでなく商人層(mercatores,negotiatores)の役割も大きくなり、血統貴族(nobilitas personae)は富による貴族(nobilitas divitiarum)に変わり金権階層(plutocrazia)が生れつつあった。6.領主層も投資家(stans)として海外で活動する商人(procertans)に資金を託して国際通商に参加し得る信用取引の技術(commenda,collegantia etc.)が発展していた。
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