東アジア(中国大陸・朝鮮半島・日本列島)における壁画噴に関して基礎資料を集成した。その成果に基づき、墳墓の変遷を明らかにし、壁画の発展段階をとらえた。 高句麗の壁画は、4世紀中頃に当時の都であった集安と安缶地方で出現し、前者は遼東半島の地域、後者は遼陽地域の墓制・壁画内容の影響をうけていることを明らかにした。そして高句麗壁画は、墓主図像から四神図像に変化し、周辺の地域にも伝播した。日本の高松塚古墳の壁画も、四神図像はその高句麗の影響を受け、さらに唐の変化の影響のあることを論証することができた。 高句麗壁画の百済・新羅への伝播も、高句麗の政治的領域の拡大過程と密接な関係があることが知られた。百済においては、高句麗と同時に中国南郭の壁画の影響のあることを、壁画の表現、墓制の構造などからとらえた。 唐代の壁画は、高松塚古墳の影響を及ぼしたが、一方で渤海壁画にも系統関係がみられる。高松塚壁画と渤海壁画を比較検討することによって明瞭となった。
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