藤原道長の日記『御堂関白記』、および同時代の日記『小右記』(藤原実資)・『権記』(藤原行成)の寛弘年間(一〇〇四〜一〇一二)の記事から、道長の文学に関わる行動を抜き出し、データーベース化した。データーベースソフト「桐」を使用し、年次・種別(漢詩〔私的作詩・私的作文会・公的作文会〕・和歌〔私的詠歌・私的歌会・公的歌会・屏風歌〕・大学および勧学院関係・書籍等の収集活動・後援・その他)・関係人物・実作と所収書名・関係条文の引用・前項の注記・参考を項目に立てた。関係条文の引用を加え、さらに記者や登場人物の思考のあり方を注記という形で入れた点が最も腐心したところで、単なる出来事の件数の集積を越えた、関った人間の思考や個性を含んだ検索が可能となっている。 形態を考察しつつ、データーベースを作成することが今回の研究の目的であるが、その過程においても、藤原道長の文学に関する実に幅広い教養や行動が明らかになった。道長が優れた文学の後援者として成長し、かつ一条朝の文学が平安時代のひとつの頂点となっていく過程が、同時代の漢文日記という正確な史料によって位置付け得るという点で貴重な基礎作業ができたと思う。 寛弘年間を対象としたのは、一条天皇と藤原道長という二人の為政者に領導された平安文学の頂点といえる時期であるからだが、道長が内覧となった長徳年間から、道長が死ぬ万寿年間まで作業を続ける予定である。 平行して『御堂関白記』の本文研究を行い、道長自筆本の抹消された文字について成果を得た。 なお、発表論文「『御堂関白記』と『栄花物語』のあいだ-皇子誕生記事をめぐって-」(『国語と国文学』平成五年十一月)は、今回の研究の前提として、漢文日記の位相を歴史物語と比較しながら考察したものである。
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