『一目千軒』の調査・研究は、1、諸本調査、2、内容読解、の2方面からなす必要があった。 1、諸本調査によって知り得たことがら。 (1)初版本とされる宝暦7年版には多数の異版が存在するが、各寄部等の比較検討により、大きく2種類に分類できる。また当時、『一目千軒』の最大の利用価値は、この各寄部にこそあったことが推測される。 (2)以下、安永3年版・同7年版・天明4年版・寛政元年版・同13年版が確認されたが、なかでも、天明4年版で大改版のあったことが判明する。また、これらの版が名寄部を大幅に縮小していることは、『一目千軒』自体の性格づけの変化があったことをうかがわせる。 (3)版元の変遷があり、そのことが内容の変化に影響していることが跡づけられる。 2、内容読解によって知り得たことがら。 (4)近世期の他の資料を併用しながら、島原の遊廓としての風俗を細かく考証した。 (5)『一目千軒』の本文を綿密に読む中で、島原案内記として豊富な内容をもっていることがわかり、それ以前の同種の本との相違や、本書の企画の魅力、また永続的刊行の理由を解明しつつある。 (6)太祇・風状らの俳書に入集する島原の関係者(廓の主や遊女)を、『一目千軒』の名寄と比較すること二よって、島原俳壇の状況の把握がかなりできるようになった。 (7)引用文献の豊富さや白話語の使用などの検討により、呑獅ら作者の学識・教養の程度が測れる。今後の課題としては、同年に出版された、大阪新町の『澪標』の研究、また本書との比較検討が必要である。
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