従来、瞼譜についての資料は、斉如山の「国劇簡要図案」「瞼譜図解」が代表的なものであったが、近年様々な瞼譜集が大陸、台湾の各地より出版されているので、まずそれらの資料収集より始めた。 次いで、その資料をもとに、瞼譜形成の法則性、色彩観、地域性の考察を意図して研究を進めた。しかし、これらの考察に当たって、瞼譜の演変史構築の必要性を痛感し、京劇瞼譜を中心に「瞼譜史及びその色彩のシンボリズム」(高岡短期大学紀要Vo15)としてまとめた。その中で新たに指摘し得たのは、瞼譜形成に当たって、民間社戯とのかかわり、及び宮廷の演劇観とのかかわりが濃厚に存在することである。同時に、瞼譜に特徴的な、赤、白、黒の生成についても、その色彩ごとに時代的、劇目的、地域的特徴があることを指摘した。 しかし、地域性と言っても、瞼譜資料の大半は京劇、崑劇であり、秦劇、ぶ劇、粤劇などの資料ははやり不十分である。当初意図した瞼譜の地方ごとの相違の考察は、その緒についたばかりであり、体系的な考察は継続して行わなければならない。ただ、上記論文において、地方劇が京劇形成に与えた影響と言う視点から、地方劇と京劇のかかわりについて言及し得た。また、同論文は、瞼譜色彩のうち赤と黒に限って、小説などの記載と比較しながらその色彩に反映された色彩観、人物観について考察した。その中で「黒」に収斂していく「醜」のイメージ、及び中国瞼譜には、日本の歌舞伎にみられるような明確な意味での色彩のシンボリズムは存在しないことを指摘した。
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