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タイ近現代政治史における日本政治モデルをめぐる諸論争

研究課題

研究課題/領域番号 05620050
研究種目

一般研究(C)

配分区分補助金
研究分野 政治学
研究機関成蹊大学

研究代表者

村嶋 英治  成蹊大学, 文学部, 助教授 (70239515)

研究期間 (年度) 1993
研究課題ステータス 完了 (1993年度)
配分額 *注記
900千円 (直接経費: 900千円)
1993年度: 900千円 (直接経費: 900千円)
キーワードタイ政治上の日本モデル / タイの西欧化 / タイ立憲革命 / 日露戦争 / 明治憲法 / 王党派
研究概要

本研究が明らかにしたことを以下に要約する。
タイにおいては自国の政治変革のモデルとして日本が議論されるようになるのは1885年以降のことであるが、それ以降第2次大戦期に至る間を3期に分けて見ることができる。第1期は1885年以降日露戦争までの期間で、日本は東洋においても清国とも比較できぬ程の小国と考えられていたが、革新的若手王族や官僚らは日本は東洋において西洋の道を歩む唯一の国であるとしてチュラーロンコーン王に日本の立憲制への努力を見習いタイも絶対王政を廃止する事を提言した。これに対し同王はタイ王政の独自性を強調した。
日露戦争で日本が勝利すると、日本がどうして大国になったのかという議論が生じた。これから1932年の立憲革命までが第2期である。この議論もタイの政治変革と結びついていた。その1例として1912年のラッタナコーシン暦130年の乱時の議論を見ることが出来る。反乱を企図した若手将校達は日本の成功は立憲制を導入して天皇の恣意的国家歳入の浪費を抑えその分を軍事強化に回したからであると主張した。一方、ワチラーウット王は日本の成功は天皇に対する忠誠心に起因しており、それは武士道精神が基本になっているとしてタイが日本から見習うものは同精神であるとして反駁した。
立憲革命後のタイ恒久憲法制定では明治憲法も参考にされた。この革命は推進した人民党の指導者、ピブーンは日本は英仏独と並ぶ民主主義大国でありタイのモデルであると讃えた。一方反政府のロイヤリストたちは日本における複数政党制などに見られる民主主義の現実とともに天皇に対する忠誠心とを評価し一党独裁の人民党政権の非民主性と反王族的態度を糾弾した。
以上のようにタイにおいては重要な政治転換時において日本はモデルとして常に引照されたことを明らかにした。

報告書

(1件)
  • 1993 実績報告書

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公開日: 1993-04-01   更新日: 2016-04-21  

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