北村遺跡は縄文時代中・後期の遺跡で多くの人骨が不完全ながら出土し、歯の保存は非常によい。従来の多くの縄文時代人骨は、海岸部の貝塚から出土したもので、山間部のものは少ない、歯に残された形成時の痕跡や咬耗状態から北村集団の生活様式を推測し、海岸部の縄文時代人との違いを明らかにした。「表面粗さ計」を用いて表面の線状のエナメル質減形成をトレースし、歯冠における位置を確認した。次いで、一般的な犬歯の大きさをもとにその凹部の相対的な位置を計測し、線状のエナメル質減形成が形成された時期を推定した。その結果、乳歯にはまったくエナメル質減形成が認めなかった。乳歯は母体内か授乳期に形成されるから栄養不良のようなストレスは受けていない。エナメル質減形成がもっとも多かったのは2歳前後のものである。この年齢は北村集団における離乳期を示すものと考えられる。このことは、次の子供の出産によって子供の栄養摂取が劣化したことによる可能性も考えられる。北村集団では第2大臼歯にも線状のエナメル質減形成が大きく見られる点が特徴的で、この歯の形成される幼児期(5~7歳)にも他の集団以上のなんらかのストレスがかかっていたことになる。咬耗のパターンは、海岸部の一般的な縄文時代人と比べるとはるかに咬耗の進み方がゆるやかである。コラーゲン分析の結果と考えあわせると、植物食による可能性が高い。植物食でも硬い羊歯類の根を食べるような特有の咬耗を示すものはごく少数であった。植物資源には恵まれていたと考えられる。摩耗痕に関しては他大学で採取した海岸部の縄文人のレプリカ像の分析中である。粗さに大きな違いがあるようである。 現在これらの結果の印刷の準備中(人類学雑誌)であるが、大多数の海岸部の縄文時代人とは大きく異なった生活様式が明らかになり、縄文時代てでも生活の地域変異を考える必要性が指摘している。
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