研究概要 |
本研究は幕末から明治期にかけてわが国にもたらされたフランス体育の内容、及びそれがわが国近代体育の形成に及ぼした影響について検討した。 慶応2(1866)年に徳川幕府の招きによって来日したシャノワン(Chanoine,Charles Sulpice,1835-1915)を団長とするフランス軍事顧問団一行は、フランス陸軍の体操書 Ministere de la guerre(1847) Instruction pour lenseignement de la gymnastiqueをもたらした。その内容は基本運動(徒手柔軟・平均運動・筋力を高める運動・発声法の運動)、応用運動(障碍越え運動・登はん運動・走運動・曲乗り運動)に大別され、鉄棒、障碍台、梁木、棚、木馬、城壁、平行木などの31種に及ぶ器械・器具設計、配置図が付されている。フランス軍事顧問団はこれらの体育法(gymnastique)の中からいくつかを取り上げ兵士の基礎訓練として指導した。「木馬之書」(金沢市立図書館)は、この当時軍事顧問団の通訳に当たった開成所教授職並林正十郎が原書アンストリュクシオン中の木馬運動部文(約10頁)を訳述したものである。その訳述内容や運動表記はほぼ原文に即した優れたもので、わが国近代体育の最初の本格的な研究として位置づけられる。 この仏式伝習に端を発したフランス体育研究はやがて大阪兵学寮、陸軍戸山学校といった陸軍の正式機関に引き継がれて制度化された。こうしたフランス体操書の訳書である「体操書」は明治7年文部省から学校における体操参考書としての指定を受けることによって、さらには明治18年以後兵式体操の参考書として「体操教範」が指示されることによって明治期における近代体育の形成に大きな影響を及ぼした。
|