1、近代哲学が<認識論的問題設定を基盤とした存在論>という構図の下で展開したのに対し、今世紀の哲学は認識論に代わる「行為論」的転回を遂げた。認識主体に還元しえない身体的行動の次元の発見(メルロ=ポンティ)、認識論的「内容知」に対する「方法の知」の優位(ライル)、行為としての言語活動の把握(オースティン、ウィトゲンシュタイン)などはその代表的なものである。従来実存主義的に解釈されてきたハイデガ-の「存在と時間」も行為論の文脈から解釈しうるが、その結果、存在論そのものを新たな仕方で解釈しうることになる。この成果は、今秋開催される日米現象学会議(ビッツバーグ)で発表し、本来末公刊の論文集に掲載される予定である。 2、今世紀の後半におけるもう一つの傾向は「修辞論的転回」とでも呼びうるものである。60年代以降、様々な分野で、展開された物語論は、構造記号論ばかりではなく、言語行為論や修辞論的側面などから多角的に照明しうる。それによって、哲学のみならず、芸術論や歴史記述に関する整合的な分析が可能となる(たとえば、従来モダンアートに関する作品内在的分析と、社会史的観点からする作品外在的分析は両立不可能だったが、修辞論的形象とその「用法」という観点を導入することによって、二つの視点を十分整合的に解釈しうる)。「行為と形象」(埼玉大学教養学部紀要)はこうした視点から、特にフ-コ-の初期から後期にかけての著作を分析したものである。この点に関しては、個々の芸術作品や歴史記述に内在する視点や哲学テキストに用いられる言語の分析という視点からさらに解明を進め得る。その成果は今秋開催されるアメリカ現象学・実存主義協会(シアトル)で発表され、また本年末公刊の論文集に掲載される予定である。 3、以上の研究は、「脱構築」と「解体」という、今世紀における哲学のいわば最終的な形態を準備した傾向を解読すると同時に、ハイデガ-ならびにデリダの営為そのものを解読するための準備作業となるものである。
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