日本に導入されたアメリカの教育の自由の理念には以下のような特質があった。 (1)権利主体の民衆ではなく公衆ととらえること、民衆は多様な私益を抱えた個々人の集合体であり、その全体意思は政治闘争を通じて多数決により確定されるが、公衆は共通の公益を抱えた個々人の集合体であり、その全体意思は政治的闘争ではなく、知識階層によって代表されること、逆に教養レベルの低い公衆は知識階層による啓蒙の対象とされること。 (2)親や住民による民衆統制が占める比重を低くみていたこと、政治と行政の分離の発想に立って、政治的に統制される部分をできるだけ限定し、専門家である行政官と教師とに大幅な裁量を認めようとしていたこと。 (3)教育と教育行政とを分離し、教育行政を教育に対するサービス機能としてとらえていたこと、教師は教育過程の専門家として、行政官は条件整備の専門家ととらえられ、それぞれの責任領域を教育過程の内外に分割しようとしたこと。 (4)内外事項区分論は教師の無制約な自由を認めようとしたものではなく、教師の専門的能力の管理とその行使とをそれぞれ外的事項と内的事項とに分割することによって教師の専門的自由と、教師に対する専門的な人事管理を均衡させようとするものであった。 (5)教師は労働者や市民としてではなく、専門職、奉仕者としてとらえられ、政治的な活動や組合的な活動を行うことは禁じられる。教師は公益を実現すべき責任を負い、自らの私益を追求することは禁じられるのである。 日本の戦後教育改革は、以上のような教育の自由の原理と同時に、教育委員会制度という民衆統制の原理を混在させていた。戦後改革を主導したオールドリベラリストたちは上記の教育の自由の原理に親和性を有していたが、戦後の教育の自由の原理は日教組など教育運動によって担われることによって、その意味を変容させていったのである。
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