1 アメリカ合衆国において、進級制度の改革が始まったのは、1890年前後からであった。学年制は1860年ころまでに都市部を中心に普及し、1890年ころは、子どもの学力の到達度を試験で確かめて、それによって進級か落第かを決定するという方法が一般的になっていた。進級の基準が3R'sなどの基礎学力の試験の成績であったことから、当時の学校教育で育成すべき能力とは、基礎学力であることがわかった。 2 1900年前後に、ひとりひとりのニーズに応ずるために進級制度の改革が、各地の都市で行われた。進級の判定の機会をできるだけ増やすことと、教科ごとに進級を決めるという方法が採用され始めた。学力試験を基準として進級と落第を決定している点では、それ以前と同様に、基礎学力の育成を学校教育の主要な目的としていたといえる。 3 1910年前後から落第をなくそうとする動きが各地の都市で起こってきた。その背景には、学校教育の非能率を示していると見なされていた落第を減らさなければならないという教育経営上の意図があった。 4 1920年ころから、基礎学力が学年の水準に達していないにもかかわらず、進級を認めることが、各地の都市で始まり、落第が急速に減少していった。落第の減少は、表面的には、学校教育において、基礎学力よりも生徒の性格や精神衛生の方が重視され始めたこと、及び、進級の意味が、学業到達の指標から生徒の発達をうながすための手段へと変化したことを意味している。だが、実質的には、ひとりひとりのニーズに応ずるために、進級の水準それ自体を個人別に多様にしていくことであった。その結果、学校で何らかの経験をしたことが、基礎学力として試験の成績に現れていないとしても、生活のための能力を獲得したとして、進級の根拠になったのである。ここに能力観の変化が現れている。
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