研究概要 |
フランス第三共和政確立期における大学(faculte)への「教育学」講座導入の実際を明らかにするための基礎作業として、関連文献を購入するとともに、主として筑波大学所蔵の関連史料を調査・収集し、パリ大学を具体的事例として分析を行なった結果、以下の諸点が明らかとなった。 (1)第三共和政初期の1880年代は国民教育全般の改革が推進された時期で、とくに新たな「世俗道徳」教育の構築が急がれ、その担い手としての世俗教員の養成が緊急の課題とされていたこと。 (2)ほぼ同時並行で進展していた大学改革にあっては、とくに文科・理科の大学は単なる学位授与試験機関から脱皮し、国民統合の理論を産出すべき機関として、具体的には中等教員養成の目的を明確にしつつあった。 (3)こうした教員養成の課題を背景にして新たな大学に導入されたのが、教育学(教育科学)の講座であった。パリの文科大学の場合、アンリ・マリオン(Marion,H.,1846-96)が主とてこの講座を担当し、心理学と教育実習さらに各科の授業法を内容とするものであり、それに対する期待は、中等教員の資質向上、アグレガシオン合格への準備、及び、現職教員に「連帯」を訴える場として機能することにあった。 以上の成果の一部は、『岡山大学教育学部研究集録』に発表した。
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