近世初期の民衆の識字率の推定のため、人別帳に記された花押に注目し、史料の収集を行った。その結果、長崎(石本家文書)及び京都(六日町文書)に該当の文書を確認し、そのデータを現在解析中である。 すでに解析がすすんでいる長崎の場合、17世紀初期において商人の町であった平戸町において、商家の当主の識字率は9割を越えていた。また、その「息子」においては約3割の識字率であった。しかし「息子」に関しては年齢を考慮するとさらに向上すると思われる。また、金左衛門家(石本新兵衛家頭)のように、1634年、35年、37年と時を追って「息子」たちが識字能力を獲得していくさまが確認できる事例も発見された。加えて、「下人」に分類される使用人の中にも多くの識字能力を持つものがおり、当時の商人町の識字率の高さが実証されよう。 さらに、戸数と人口の変化をみると、1634年に「家持ち」26戸、「借家」26戸、人口310人であったのが、1659年には、「家持ち」25戸、「借家」51戸と借家層が増加しているが総人口は310人と変化がない。これは、商家に一括して登録されていた使用人の家族が、それぞれ独立した所帯として登録されたためで、家族制度の変化を顕著に表している事例として注目される。 今後の課題として、第一に長崎の場合一例もない女子の識字能力をどう考えるか、また第二に識字能力をどこで身につけたかを推定すること、さらに第三にこれから解析を進める京都の事例と比較してそれぞれの地域性を見いだすことができるかどうかなどの点があげられ、研究を進める予定である。
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