本研究では、平成4年度奨励<無法者伝承の研究>で明らかになった、民俗社会における無法者伝承と社会変動の関係を、具体的な事例研究をもとに考察した。本研究で主にとりあげたのは、高知県吾川郡池川町を中心に伝承されている竹本長十郎の伝承である。竹本長十郎は明治4年に勃発した土佐膏取り一揆の指導者の一人であるが、かれに言及した町村史などの文字伝承のなかで、かれは侠客であったと伝えられている。本研究で、竹本長十郎=侠客のイメージの起源の一つが明治16年の『土陽新聞』の連載読物である「高峯廼夜嵐」に描かれた竹本長十郎像にあることがわかった。 竹本長十郎の侠客イメージは、竹本長十郎の活動の広域性の伝承によって強固にされてきたと考えられる。土佐膏取り一揆の関連した地域において、村落社会を越えて活動した人々のなかに並外れた身体的な力をもった力士がいた。かれらは各村落で行なわれた相撲会に出向きそこで村落を越えた交流を深めると同時に名声を得た。竹本長十郎もそうした力士の一人であったと語られている。並外れた身体的な力の行使と村落社会を越えたネットワークの形成が、竹本長十郎=侠客のイメージの基盤になっていたと思われる。 相撲会などを通して民俗社会において制御されていた身体的な力は、近代化がすすむにつれて国家に委ねられるようになってゆく。第二次世界大戦が近づく頃から、それまで徴兵忌避を氏神に祈願していた人々が、兵隊検査の甲種合格を祈願するようになり、人々の関心はしだいに相撲から離れていった。同時に村落社会を越えたネットワークも変容してゆき、民俗社会は身体的な力とネットワークの両方を制御できなくなった。竹本長十郎の伝承は、民俗社会の<身体>の記憶として伝承されてきたと考えられる。
|