本研究の目的は、北海道内外に現存するカワシモ信仰の実態を明らかにして、近世以降、北海道に流入した民間信仰が、どのように受容し継承してきたかを究明することである。 この目的を明らかにするために本年度は、北海道西南部のカワシモの信仰形態を調査するとともに、カワシモと同様に女性の祭祀がみられる明神講を中心に調査を行った。 この調査の結果、北海道西南部の明神は、すべてお産の神として信仰しており、本殿の末社のひとつとして合祀されている。明神は、本殿を維持する氏子組織とは別に、女性だけの講で管理するものであった。講の祭りでは、宿の祭壇に神体を遷し、女性が集まって参拝と安産祈願のまじないをおこなう。由来は不明であるが、明治後期から大正初期には、すでに祭がとりおこなわれていたのである。 一方、北海道西南部のカワシモ(カワスソ)社は、17世紀末から19世紀中頃に建立しており、本州の夏越祓の影響をうけて成立したものである。この神社の幕末頃の祭には、神職が関与していたが、女性も川清めという祓の神事に関わっていた。カワシモの信仰形態にお産の神として女性の祭祀が定着するのは、明治期から大正期にかけてである。カワシモの神像の一部は、明治初頭の廃仏毀釈によって神体を和弊に取り替えるように指導がなされているが、なかには祭神や神像が明神として祭られて定着している事例があった。 以上のことから、北海道西南部のカワシモ信仰は、夏越祓の神事であったものが、幕末にかけて女性の信心が高まり、明治初期における神仏混淆の整理を経て、お産の神として女性の祭祀が中心になるとともに、一部において明神講という別称で、女性のために神として定着したものである。
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