今年度は、三上参次・黒板勝美らにかかわる史料の収集を中心におこなった。『史蹟名勝天然記念物』『史学雑誌』『考古学雑誌』『歴史地理』『太陽』など、をはじめとする雑誌における三上・黒板らの論説や、牧野伸顕などの文部省・宮内省関係者とのやりとりの書簡・書類などを収集した。特に黒板勝美の1901年以来の東京帝国大学史料編纂員、あるいは1915年の国史学第二講座の担任といった東京帝国大学の国史学講座内部の活動よりは、社会的な活動に注目した。黒板は、古社寺保存会委員・史跡名勝天然記念物調査会委員といったナショナリズムと顕彰による歴史意識形成ににかかわる活動をする一方、臨時御歴代史実考査委員会委員・東山御文庫取調掛・御物調査委員・国宝保存会委員・吉野神宮奉讃会・臨時陵墓調査委員会委員といった役職につき、宮内省とかかわり皇室の権威伸長に寄与する。また朝鮮総督府宝物古跡名勝天然記念物保存会委員、台湾製糖株式会社社史編纂といった植民地統治を正当化する歴史認識づくりに貢献する。このような黒板の活動は、明治期の久米邦武事件・南北朝正閏論争以後に現出する、宮内省・文部省と結びついて、日露戦後の社会改良に則した歴史認識形成や国民教化の担い手たる、東京帝国大学国史講座のあり方、その主任教授の行動であった。したがって今後の見通しとしては、1936年に黒板が、脳溢血で倒れなかったら、平泉澄が担ったファシズム期の東京帝国大学国史学講座の役割の少なからぬ部分は、システムとして黒板が担ったと考える。
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