日本における井戸の出現については、縄文時代からあったとする説と、弥生文化とともに大陸から移入されたとする説がある。水脈を求め人為的に掘削したものを井戸とするならば、その初現は弥生時代の前期に求められる。そこで、出現期の井戸の性格を理解するために、弥生時代の井戸祭祀について検討した。 弥生時代の井戸を概観すると、壷を主とする土器が井戸底にまとまって発見される場合と、埋井の途中で数回にわたって土器群を投入する場合がある。井戸底の壷類は、井戸端で行われていた水の神の祭祀で呪術的意味をもって沈めらたもので、埋井中の土器群は、井戸の廃棄時に土器を投棄しつつ埋め戻す祭祀に供せられたものと考えられる。畿内地域の例を見ると、中期と後期とでは井戸出土土器数や器種数に違いがあり、井戸祭祀に変化が認められる。 また、弥生時代の井戸では、小鐸、鳥形をはじめとする木製品、モモなどの果核類、獣骨類の中には、供物として捧げたものがあったようである。他に、井戸中から火鑽臼が出土することから、井戸の祭事に火をおこしていたことが推定される。 弥生時代の井戸祭祀の特徴は、壷や高坏などの供献形態の土器が使用されていることである。こうした祭祀は古墳時代まで続き、飛鳥時代になると完形の杯を用いる祭祀に変化する。供献形態の土器を用いる祭祀は稲作にともなう農耕社会的な祭祀形態であることから、井戸をめぐって行われた祭祀は農耕生活の中から始まったものとして捉えられる。
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