本年度の研究は、各地で出土している漆付着土器の集成を大きな目的の一つとし、奈良時代の政治的中心地である畿内およびその周辺、西日本から北部九州にかけての地域に関しては、発掘調査報告書をもとに集成をほぼ完了した。その結果、古代以前に限れば、約50遺跡からの漆付着土器の出土を確認した。こうして集成した漆付着土器の分析から、漆液の流通から漆製品の制作に至る漆工芸の流れを復原することができ、大きな成果の一つである。漆付着土器は縄文時代から見られ、弥生、古墳時代も断片的にではあるが確認できるが、量的に増大するのは古代国家が体制を整える飛鳥、奈良時代であることが判明した漆付着土器の器種を見ると、縄文〜古墳時代にはパレットとして使用した椀、杯類と貯蔵用の甕に限られ、運搬用の細頸の壺が皆無であるという特徴があり、漆液は消費地の周辺で採取されるのであって、遠隔地へ運ばれる行為は少なかったことがわかる。一方、飛鳥・奈良時代には、消費地である畿内の都城遺跡では必ずと言って良い程に運搬用の壺が出土し、それ以前とは漆の流通、消費の体制に大きな転換が生じたことが明確となった。これは、漆が税の一種として国家権力の貢納体制の中に組み込まれたことを物語るものであり、壺に記された墨書の分析によって、記載内容が木簡と同様であることが判明したことからも証明できる。また、奈良時代の消費地での様相は、平城宮・京が一大中心地で、出土量が格段に多いが、多賀城、太宰府をはじめとした地方宮衙でもある程度の出土がみられ、地方においても漆液を集積し、漆工芸を行っていた状況が確認できる。こうした地方宮衙においても、運搬用の壺類が大量に出土しており、国家による後援があったと推測できる。なお、壺の産地は漆液の産地を反映するものと考えられ、美濃、越中、加賀、備前、筑前などのものが確認できた。文献によって知られる漆液の貢納国と一致するものとしないものがあり、興味深いことである。
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