学習院大学所蔵のソシュール未刊資料のうち、学生の講義ノートGrammaire historique du grec et du latin(1907-1908)とGrammaire comparee du grec et du latin aves etude plus speciale du latin(1909-1910)を中心に、インド=ヨ-ロツパ語比較文法関連の手稿を調査、検討した。明らかになったのは、主として以下の2点である。 1.ソシュールはMemoire(1878)で発見した喉頭音の仮説を発展させていないばかりか、この理論をほとんど撤回していること。具体的には短母音と長母音の母音交替を説明するのに、喉頭音AとOを仮定するのではなしに、schwa概念について述べている。これはむしろブルークマン、メイエなど喉頭音を認めない研究者の立場である。 2.インド=ヨ-ロツパ語比較文法の講義であるのにもかかわらず、1907-1908の講義の序説、1909-1910の形態論などで一般言語学的視点がみられること。「文法」は共時的にのみ成立するので、歴史文法とは時代間で文法を比較する作業であることが述べられるが、これは『一般言語講義』における体系の概念である。また形態論において語は語根、接尾語、語尾などの下位単位へと分割されるが、この根拠として、インド=ヨ-ロツパ祖語という絶対的レベルを仮定するのではなく、「話者の意識」を基礎と考えている。これはやはり共時体系の概念である。 以上のことより、晩年ソシュールの関心は比較文法ではなしに、一般言語学にあったことがわかる。今後は、比較文法の方法論から共時体系の概念を練り上げていくソシュールの過程を後づける必要があろう。
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