本研究は、新しい社会運動と呼ばれる紛争において、紛争当事者の正当性の主張にはらまれる「実体志向」と「過程(プロセス)志向」との錯綜状況を明らかにすることを目的とした。そのために、宮崎市一ツ葉海岸リゾート開発反対運動と、福岡県宗像市及び同県上陽町の産廃処分場建設反対運動を調査した。その結果得られた成果は、以下の通りである。 (1)宮崎市の事例は裁判に持ち込まれたが(政策形成型訴訟)、その具体的な弁論の内実は、ほとんど専門家証人への尋問・反対尋問である。これは、まさに訴訟にしなければ、住民の危惧と専門家の見解とを架橋する議論の過程(本来的意味でのアセスメント)が保障されていない現状を表している。住民側は、政策形成時に実現されなかったプロセスを裁判の場で実現するわけである。ただし、閉寒的な制度を打破する最後の拠り所として裁判が起こされたが、そのことにより運動自体は閉寒化した。(2)産廃処分場建設反対運動の場合、都市近郊であれば、その運動は「自省的」となりやすい。これは都市生活が産廃を多く生み出しているからであるが、その場合、運動は、産廃処分場の必要性を認めた上で、その決定過程を問題にしようとする(しかしここでも議論を主導する関心は、可能な限り建設反対という実体的なものである)。他方、山村では、都会のゴミを持ってくるなという実体的主張となる。(3)福岡県と宗像市は、産廃処分場建設にあったて、業者に住民の同意を得る過程を条例で制度化し指導している(宗像市は審議会も設けており、その審議会が計画廃止を勧告したため、業者は当該条例の違憲性を主張して裁判を起こした)。かかる事前手続を、住民は、実体的な視点(計画を阻止できるか否か)から、「有効な制度」/「単なる儀式」と判断する。ただし住民は、現行制度上、実体的な判断を主張しても無力なので、それを手続的問題に変換して主張する。(4)以上のように「実体志向」と「過程志向」は具体的紛争の当事者においては、非常に複雑な関係にある。その理論的整理は今後の課題である。
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