本研究では、アメリカ合衆国において連邦憲法上に基礎づけられ、いわゆる自己決定権を意味するところの、「憲法上のプライバシーの権利」について、その根拠、内容及び限界を明らかにすることにより、当該権利の今日的意義と課題を総合的に探求することを目的として、研究を行ってきた。その際、本研究では、当該権利が連邦最高裁判所の法創造にかかるものであって、連邦憲法上明文で保障された権利ではないという事情により、判例の背後にある個々の裁判官の動向の焦点を合わせた研究が不可避であること、当該権利の内容が、もっぱら避妊具の入手や使用、妊娠中絶の決定、猥褻物の私的所持、さらには性的自由などにかかわる点で、広くアメリカ社会のありようを考慮に入れる必要があること、等に留意してきたところである。こうした視点を持って、当該権利の判例分析に重点を置いて研究を進めてきたところ、1.従来、連邦最高裁判所は、プライバシー権をもって、生殖事項を中心とする個人の自律の権利として捉えてきたが、1970年代後半以降、判例は、個人の自律の側面よりも伝統的家族の保護を目的とする家族のプライバシーの側面を強調するようになってきたこと、2.このことは、例えば、妊娠中絶の決定を家族全体の問題として捉え、夫や親に拒否権が認められるとすると発想や、未成年者の避妊具の入手を親の教育権の枠組でもっぱら考えるとする思考方法に見られるように、当該権利の、個人の自律権としての側面を、著しく制約する機能を果たすものとなっていること、が明らかにされ得たように思われる。今後の研究課題としては、当該権利の発展の、閉塞状況が語られる1980年代後半以降における現況及び課題に焦点を合わせることとしたい。
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