1930年代に福岡県を中心として活動した国家主義団体・創生会と同団体のリーダー清水芳太郎の活動に関する基礎的資料の収集と、収集した資料に基づく分析を行うことができた。 まず、基礎的資料の収集については、創生会関係者からの聞き取りを行うことができ、また、創生会の会員の一人の日記と当時の新聞の切り抜き、写真を収集することができた。さらに、清水が主筆をつとめていた『九州日報』の清水自身が執筆した新聞記事も収集した。現在、既に前年度までに収集し終えている資料も含めてパソコンに入力してデータの整理を行っている。 次に、こうしたデータを利用して、清水芳太郎の政治活動についての分析を行い、「政党内閣期の国家主義者-清水芳太郎の場合-」(鹿児島大学教養部の『社会科学雑誌』に掲載)として発表した。この論文では1920年代の清水の『九州日報』紙上に発表した論説を素材にして当時の国家主義者が、政党政治や普通選挙をどのように考えたのか、また、30年代の国家主義運動に参加していく動機は、20年代の政党政治への一定の期待と幻滅によるものではないか、ということを明らかにしている。この論文での分析は、現在整理している資料のごく一部分を利用して行ったものであり、今後資料の整理と並行して、20年代から30年代にかけての地域レベルでの国家主義運動の展開過程を具体的にフォローしていく予定である。
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