脳の高次機能とりわけ記憶に関する重要な基礎過程は、神経回路網のシナプス特に樹状突起棘シナプスの活動が中心であることから、アルツハイマー病を代表とする痴呆性疾患の病態解明には、この特異なシナプス構造における分子細胞生物学的解析が急務である。 今回、こうした研究の中で、神経細胞樹状突起棘シナプスにおけるイノシトールリン脂質情報伝達系酵素の免疫組織化学的検討を行った。 検索対象には当脳研究所で死後速やかに剖検され、固定保存されているアルツハイマー病脳18例、正常対象脳24例を選択し、上前頭回および海馬の凍結切片を材料とした。樹状突起棘に局在することが明らかにされているイノシトール三リン酸キナーゼ(IP_3K)の免疫反応性は、アルツハイマー病4例、正常対象例5例において明瞭な顆粒状陽性像が得られたが、陽性顆粒の密度に両病態で大きな差はみられないと考えられた。他の症例群には、陽性像はほとんど認められなかった。正常対象脳において陽性例と陰性例の間に、死後剖検までの所用時間や、固定から今回の検索までの保存期間に一定の傾向を見出せなかった。 以上の結果から、IP_3Kの免疫反応性で示されるシナプス後領域の変化は、少なくとも光顕レベルではアルツハイマー病と正常脳に明確な差異を示すことができず、今後免疫電顕レベルでの検討が必要と思われた。また正常対象脳でも陰性例が多数存在していたことから、IP_3Kの免疫組織化学はヒト剖検脳を用いる場合、死亡までの臨床経過など種々の要因を慎重に検討する必要があると思われた。
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