本研究の目的は、一つには民族の新たな祭りが朝鮮・韓国人にとって社会・文化的に、そして精神的にどのような意味を持つのかという点を考察することにあった。そのために事例として東京荒川区の「荒川ノリマダン」、川崎市の「桜本プンムルノリ」、京都東九条地域の「東九条マダン」、大阪生野区の「生野民族文化祭」、そして福岡市の「三・一文化祭」を取り上げ、それらへの参加者、および地域の人たちにフォーマル、インフォーマルなインタヴューをすることで資料を収集した。 在日韓国・朝鮮人の多く場合、戦前から明瞭な根拠もなく社会的差別を被ってきた。今日、彼らの多くが日本で生まれた二、三世、あるいは四世の世代になり、地域の日本人と共に教育を受け、育ってきた。彼らの多くは日本が母国であるという意識を持つ一方で、社会的差別を受け、これまで自分たちの祖先伝来の文化や自分たちに対して否定的なイメージしか持てなかった。そういう彼らが、韓国・朝鮮の民族的な祭りを日本人も含む地域の中で創造・実施することを通じて韓国・朝鮮人でもなく、日本人でもない「在日」としてのエスニック・アイデンティティを「再建させ」、自分たちのプライドを回復させ、プラスの自己像をもち始めてきた。民族的な祭りは「在日」としてのアイデンティティのより所になり、学習することによって「客体化された文化」が習得されていき、それが彼らのとくに子供の世代の文化として根付き始めている。上述のアイデンティティ確立のプロセスだけでなく、その他の多くの共通点(たとえば、彼らの置かれた社会・地理学的周縁性、グラスルーツの運動としての地域運動、祭りと平行した諸活動の実施、祭りを中心にした子供の重要性)などとともに、違い(たとえば、メンバーシップ、祭りの内容、祭り実施の空間、継続性)が比較の結果分かった。
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