今回の科学研究費補助金により美術作品13件、文献4件を実査することができた。五躯完存する一具像については所蔵者の意向との関係で東寺・醍醐寺・奈良国立博物館の3例の調査に留まったが、奈良・吉祥草寺像(降三世明王足下の大自在天に僅かに当初部を遺し、他は改作・補作される)、京都・禅定寺大威徳明王像(『権記』に藤原行成が発願したと伝える同寺五大明王像の遺像と見られる)、兵庫・温泉寺降三世・金剛夜叉両明王像等当初五大明王であった蓋然性の高い群像の部分的遺存例を見出すことができたのは大きな収獲であったと言えよう。確認された範囲内では兵庫県から岩手県に至る本州の広い地域にわたって分布しており、護国的・国家主導的性格一辺倒でとらえられがちであった五大明王像の造立が、実際には護国の徒を自認する地方有力層の私的発願によりかなり広く行なわれたことを物語るものと推考される。ともあれ実査可能な一具像が限られたこともあり、その代替として五大明王を形成する各明王(特に不動明王)の単独像の調査にも重点を置くこととなった。この面では滋賀・神照寺像、群馬・総持寺像等、図像上五大明王像の重要な典拠となった空海請来仁王経五方諸尊図の不動明王と通じる立像の古例を重点的に調査した。なお中国における五大明王像の遺存例は仏像鈴等の特殊なものを除いて殆ど知られず、また空海渡唐に先立つ8世紀後半に唐都長安では空海請来様に見られない天地眼の不動明王像が既に出現しており、(西安大安国寺址出土白玉像、科研費とは別に独自に平成5年8月、調査を行った)、東アジア全体の中での空海請来図像の特殊性と普遍性の解明を今後も継続したいと考えている。更に不動明王の台座(瑟瑟座・岩座)が須弥山と同一視されるという文献の検討結果に立脚して、台座の周囲に平安後期から表現されはじめる海波の意味や須弥山の造形表現全体の中での位置づけを明らかにすることも及ぶ予定である。
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