本研究では、植民地期から戦後にいたるまでの日本と台湾との企業間関係のエスノヒストリーを再構成することを目的とし、文献調査と聞き取り調査を組み合わせて、日台企業文化交流史の基礎資料の収集を行った。植民地期の台湾における日本人企業家と台湾人企業家の交流については、自伝や回顧録、社史やパンフレットを収集した。戦後の日台企業関係については、台湾駐在経験のある日本人ビジネスマン数名を対象にインタビューを実施した。戦前の台湾で企業活動を行っていた日本人に対する聞き取りは実施できなかった。これは今後の課題として残る。ただし、戦前台湾に居住していた大学教授夫人にインタビューし、女性の立場から見た当時の日本人と台湾人との関係についての体験を聞くことができた。 植民地期の台湾では、多くの台湾人が日本人経営の商店で丁稚奉公をしており、そのような体験を通して、日本的な商業慣行や文化を学習した。これに対して、日本人の側は、日本語を解し、日本的行動様式を学習した台湾人とのみ交流した結果、台湾商人固有の商業文化を学という姿勢は見られなかった。ここで、台湾では「日本式」企業文化が通用するという「誤解」が形成され、この「誤解」は現在まで継承されている。この「誤解」の中核にあるのが、台湾側が個人と個人の関係とみなす関係を、日本側が組織と組織の関係と誤認することである。しかし、この文化的「誤解」は、日本と台湾の企業間関係を損なうこともあったが、新たな展開を生むこともあった。台湾人社員を日本的な組織人と「誤解」した日本企業が技術研修を与え、退社して独立した台湾人が本社の下請け企業となり、結果として意図せざる技術移転が行われた事例が多々ある。このようにして、日本的に社会組織に台湾的な個人企業を結び付くという、新しい形態の異文化間ビジネス・ネットワークが形成されてきたことが明らかとなった。
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