戦前に日本人が発掘し、いま京都大学文学部博物館に所蔵されている遼東半島の四平山積石墓(前2500年ごろ)の出土玉器のなかに、管状の工具で穿孔する方法(管鑚法)による製品が含まれている。管鑚法によると、穿孔後に円盤状の芯ができ、通常はそれが制作の場に廃棄されるため、この芯の出土によって逆に管鑚法の使用とその場が玉器の制作地であったことがわかる。幸い、四平山積石墓に隣接する同時期の文家屯遺跡でこの玉芯が採集され、九州大学文学部考古学研究室に寄託されており、それを詳細に観察することによって玉器の制作と消費に関する状況を把握することができた。このように廃棄された玉芯を探索し、遼東半島では郭家村遺跡や北溝遺跡でも出土していること、また、江南では浙江の良渚遺跡で長さが20cmほどの玉芯、江蘇呉江でも円盤状の玉芯が出土していることを確認した。さらに、良渚分化(前3000年ごろ)の玉〓の未製品で、管鑚法によって片側から半分だけ穿孔して廃棄したものを、大阪在住のある個人が所蔵しており、それを観察することにより、玉〓の製作技術を検討した。 以上のような分析により、中国での最新情報を収集しつつ、管鑚法の起源とその広がりを検討したところ、遅くとも前3500年ごろまでに長江流域において管鑚法が出現していたこと、最初は石鉞などの石器の加工に用いられ、威信財として玉器が尊重されること軌を一にして玉器の製作にも使用されたことが推測されるにいたった。 擦切り技法などそのほかの玉器製作技術についても、その起源と広がりを検討したが、なお継続して研究を進める必要を痛感した。
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