「明治30年代『風景文学』の研究」の主な目的は、第一に、日本におけるイギリスのロマン派風景文学受容の様相を明らかにすること、第二に各作家・作品に着目しながら日本の風景文学が生成発展してゆくプロセスを追跡することであった。 まず、今年度の研究では、明治20〜30年代におけるイギリス・ロマン派文学の受容にあたって、キ-・ワードの一つ"picturesque"が、その接合点になっていることが検証できた。たとえば文芸総合雑誌『趣味』に、この語が散見されるからである。実は『趣味』の創刊は明治39年で、風景文学にはかなり後行していると言わざるをえないが、後追いではあるにしても、文芸・美術欄に"picturesque"が見出せる事実は、明治風景文学の流れの中でイギリス・ロマン派、わけてもワ-ズワスが、かなり"picturesque"に収斂されて受けとめられていたこと、さらに雑誌の性格とも相俟って、その受容が少なくとも美術の分野と同時平行的に進行していたことを確実に傍証する。現在、"picturesque"を実際、自らの自然観・自然描写として昇華させた例として、国木田独歩、徳富蘆花の作品、具体的には「錯雑」「流動包繞」などの語彙が見出せること、美術分野との相関については、黒田清輝率いる白馬会の諸作家に類似の画題が見出せることまでを突き止めており、発表を予定しているが、今後、『趣味』の全貌を明らかにする作業とともに、"picturesuque"の学際的研究も進めてゆきたい。 また、『国民之友』『国民新聞』からは、田園文学の淵源の一つに徳富蘚峰・植村正久らの田園文学論が存在すること、一方"picturesuque"の対とも言える"sublime"を北村透谷が提示しいることを実証できた。いうまでもなく独歩・蘆花をも包摂した民友社文学圏であり、ここにも思想と哲学と文学の学際的交差が見出せる。
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