今回の研究(萌芽的研究)はアルブレヒト・フォン・ケメナ-テンの「ゴルデマ-ル」(1230-40年頃)を対象の中心にし、以下の新知見が得られた。(以下の番号は交付申請書の「研究の目的」欄に記した順番に沿う。)1)口承文芸としての「英雄語り」に初めて文字形式を与えたのは主に修道院で教育を受けた人々だったが、彼らは単に読み書きがでいるというだけの理由で依頼された訳ではなかった。大詩人として今日に名を残すフェルデケやハルトマン、ゴットフリートにヴォルフラウ達も元々は局地的・小規模にその技が認められているにすぎなかった。しかしその巧みさが次第に大きな依頼を招来していったのである。そして彼らは名乗ることを許された。同様にして強い自意識を得たアルブレヒトも、ディートリヒ・フォン・ベルンのテーマを文字文芸化する先駆者として自らの作品の冒頭で名乗り、当時の聴衆の大きな部分を占める好戦的気質の男達(彼らのあいだには殺した男と誑かした女の数を競うという悪習がはびこっていた)の英雄ディートリヒを典雅な宮廷騎士に変身させ、彼がむやみに人を殺めたりしないどころが女性にも礼儀正しく求愛しようとする姿を描いて、いわば聞き手の教化をはかった。2)構成では、諸々の伝統的素材(例:ディートリヒの不敗伝説)を残す一方で、ミンネザングの影響らしい美しい韻律を取り入れるという革新性の地、英雄語りを文字文芸化する大きなきっかけを与えた宮廷小説の主要テーマのひとつである「節度ある態度」を理想化し、感情の激発を戒めるという意図も認められる。これらの点はその後の作品に大きな範例を示すこととなった。3)中性後期に突然多くの写本・印刷本が作られた理由については、都市の新興市民や都市貴属が印刷技術の普及等によって新たな受容者となった事が大きいと考えられる。しかしこの点については今後更に研究を発展させて成果を発表する予定である。
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