本研究は、当初の実施計画にもとづき、1952年から1955年にいたる期間の、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)およびベルギー経済に関する従来研究のサーベイと資料の収集・分析を行った。研究の重点はとくに、1952年以降のマイクロフイッシュ化されたEC公文書館資料の分布においた。この研究により、ECSCにおける各国間、各層間の利害の対立は最高機関の超国家的役割により調整されて予想以上に石炭・鉄鋼の共同市場設立の動きが進展したこと、ただし競争力の弱いベルギー石炭業に対しては厳しい条件が課せられ、この結果この時期に炭坑の閉山が行われたことが明らかになった。 したがって、当初の研究目的からみて、ベルギー石炭業の没落が進行する中でベルギーがヨーロッパ経済統合にいかなる対応をなしたか、また1957年のEECに見られる全般的な経済統合への動きがECSCの中に存在したかが問題となる。そこで当研究が注目したのが、ECSCで1953年から1955年にかけて検討された欧州政治共同体(EPC)構想である。EPCは、結局実現しなかったものの、ECSC諸国間に全般的な経済統合を行うことを掲げており、後のEECに直結する構想であった。EPC問題を議論したECSC特別議会では、ベルギーの有力政治家スパークが議長に就任し他のベルギー人も積極的にこの構想を推進した。さらに、ベルギー国内でも経済中央審議会や議会においてこの共同体の検討がなされた。 EPCに関する研究はようやく着手したばかりで、本年度は萌芽的研究として一定の知見を得ることができたものの論文等の研究成果発表までには至らなかった。しかし、今後さらにこの問題を中心に資料を分析し欧州経済統合に対するベルギー側の対応を検討することで研究成果の公表が行えるものと思う。
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