1.19世紀末、イギリス系海外銀行であるペルシャ帝国銀行がイランに設立された。同行は独占的発券権をもつなど、イランの中央銀行としての機能を有していた。同行が設立されたころ、イランにおいては、貨幣・金融の領域におけるさまざまな問題が存在していたが、これら(銀価低落や銅貨過剰)に深く関わっていたのが当時のイランを代表する金融業者・貿易業者にして造幣局長であったアミ-ノッザルブという富豪であった。 2.貧しい家庭から身を起こしたアミ-ノッザルブが何故巨富を築き得たのか、十分に解明されているとは言えないが、彼がラリ商会というギリシャ=イギリス系のマ-チャントバンカーの代理人をしていたことにこの問題を解く鍵(の少なくとも1つ)が隠されていることは間違いないようである。 3.ラネ商会のイランにおける活動(生糸輸出、綿製品輸入)は、その、より大きな文脈における活動(イギリス・イラン・ロシア間貿易)の中に位置づけることができるものであった。 4.ラリ商会はアミ-ノッザルブから信用を供与された。そして、この信用供与は、あるイラン人研究者の指摘するところによれば、イランの財政に裏づけられたものであったというが、具体的にどのようなものであったのか、詳細は不明である。 アミ-ノッザルブは、晩年、銅貨価値を下落させたかどで逮捕・投獄された。ペルシャ帝国銀行が過剰銅貨の回収にあたった。
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