研究課題/領域番号 |
05J51052
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研究種目 |
特別研究員奨励費
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 国内 |
研究分野 |
美学・美術史
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
國崎 彩 早稲田大学, 文学学術院, 特別研究員(DC2)
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研究期間 (年度) |
2005 – 2006
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研究課題ステータス |
完了 (2006年度)
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配分額 *注記 |
1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
2006年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
2005年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
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キーワード | 日本近代舞踊史 / レヴュー / 寶塚少女歌劇團 / 秦豊吉 / 日劇ダンシング・チーム / 近代化 / 大衆娯楽論 / 日本民族舞踊 / 日本の舞台芸術・文化の近代化 / 舞踊 / 1920年代ベルリン / 身体文化 / 昭和初期のレヴュー |
研究概要 |
「大正期の寶塚少女歌劇團の舞踊活動の考察」(研究ノート);秦豊吉とも関連が深い、昭和期のレヴュー・ブームに先鞭をつけた寶塚少女歌劇團(以下「宝塚」と略称)の大正期に焦点を当て、当時展開していた舞踊思潮を、機関誌『歌劇』の舞踊記事調査・分析をおこなうことにより検証した。結果、宝塚では、独自の形式「歌劇」を模索する中で、小林一三、久松一聲、楳茂都陸平、坪内士行、岸田辰彌、ルイジンスキー等の舞踊作家達が、それぞれ、実際の上演/『歌劇』誌の両面において舞踊について模索していた。宝塚を現在から振り返って捉えなおしてみると、新舞踊、バレエ、モダン・ダンス、同時代の浅草オペラで上演されていたような舞踊など、あらゆる新しい舞踊の流れを柔軟に受容していた、一つの舞踊の拠点であったと再評価できた。また、こうした大正期の宝塚における充実した舞踊の展開は、宝塚において、昭和期以降のレヴュー・ブームを可能にした要因の一つとなったのではないかと推測できる。 「秦豊吉の近代化意識と舞踊観について」(第58回舞踊学会大会発表);秦豊吉が企画した日劇ダンシング・チーム(以下、NDTと略称)の戦前・戦中期についての考察をさらに進める目的において、まず、一次資料であるプログラム、チラシの調査・収集、当時の出演者への聴き取り調査を積極的におこない、舞踊上演の実際を検証した。そして、秦豊吉がMITに結実させた「近代化」とはどのようなものだったのか、そこに「舞踊」はどのように関わり、どのように表象されていたのかということを論考した。NDTでは、「近代的」な「大衆娯楽」としての「ショウ」形式のなかで、国内外のあらゆる舞踊が受容され、戦中期には「日本民族舞踊」として、秦の「近代化」が複雑な形で表象されることとなっており、興味深い。今後、楽譜、音源、台本などの一次資料のさらなる調査を経て、さらに深化させた論考を改めておこないたい。
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