研究概要 |
本研究の目的は、戦前のわが国における従業員持株制度の導入過程とその運用実態を評価することにある。従業員持株制度に着目するのは、それが所有者と従業員という異質のステークホルダーを結合させる、企業統治論的にきわめて興味深い制度だからである。しかしながら、既存研究では、実際の制度の運営がどのように行なわれていたかついて十分に検討されておらず、その実際上の問題点や限界点などは不明のままである。そこで本研究では、わが国で最も早い時期に制度を導入した企業の一つである兼松株式会社を対象に、上記の課題に取り組んだ。 17年度は2次史料である「兼松商店史料」を中心に、戦前の兼松における従業員持株制度の生成、確立過程(明治から昭和にかけて)を概観した。そこで18年度は1次史料である「日豪間通信」、「兼松奨励会日記帳」を分析することで、従業員持株制度が企業統治上果たした役割と制度の限界点について考察を行った。 その結果明らかとなったのは,兼松では従業員持株制度に独自の内部統治のための工夫が構じられていたために、経営責任者の暴走や背任行為が未然に防がれていたこと。さらに、将来の経営者候補たる従業員に対しても、株式配分を工夫することで、当社の成員としてふさわしい行動様式の浸透が図られていたということである。 しかし,この制度が持続するための条件は厳しいものであった。ひとつは資金運用上の問題(会社の成長・発展と従業員への利益配分のバランスをとること)である。もうひとつは、大正後期以降、創業者の理念を体現するものであるはずの制度の運用が、やや安易な方へと流れてしまっていたことである。これは当社の精神的支柱であった準創業者の死と関係しているように思われる。その結果、当初もっていた機能が十分に果たせなくなり、創業者の理念を体現する制度の意義が希薄化していったことも、この制度の限界を示すものであったといえよう。
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