研究課題/領域番号 |
06041054
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
桑山 正進 京都大学, 人文科学研究所, 教授 (20027551)
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研究分担者 |
稲葉 穣 龍谷大学, 国際文化学部, 助教授 (60201935)
船山 徹 京都大学, 人文科学研究所, 助手 (70209154)
岡村 秀典 京都大学, 人文科学研究所, 助教授 (20183246)
稲本 泰生 京都大学, 人文科学研究所, 助手 (70252509)
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研究期間 (年度) |
1994 – 1996
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研究課題ステータス |
完了 (1996年度)
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配分額 *注記 |
17,700千円 (直接経費: 17,700千円)
1996年度: 6,000千円 (直接経費: 6,000千円)
1995年度: 5,200千円 (直接経費: 5,200千円)
1994年度: 6,500千円 (直接経費: 6,500千円)
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キーワード | ガンダーラ / タキシラ / 佛塔 / 石積 / 刳り形 / ダルマラージカ- / 佛教 / 建築 / 仏教寺院 / 建築細部 / 石積法 / ストゥーパ / 測量 / 編年 / インド / 伽藍構成 |
研究概要 |
昨年につづき、本年度はガンダーラのタフテバヒ寺院跡の建物造立の編年的調査とタキシラの諸寺院跡の編年的調査を目的としたが、諸般の事情からタフテバヒ寺院跡の調査は斷念し、野外調査としてはタキシラの諸寺院跡の調査を集中して行うことになった。したがってタキシラではとくにダルマラージカ-寺跡を徹底的に分析することになった。 主塔と小塔とで構成されるこの寺跡は、近隣の都市遺跡シルカップの第2層にある佛塔の特徴ある石組みと層位的な位置關係とから、1世紀から建設されたことが確實となった。主塔は初期に建設された圓形の基壇の上に半球の伏鉢をのせているが、初期の圓形基壇を圍んでつくったのちの基壇は、發掘者のマーシャルによって後期の石積みとされていたが、そうではなく一時期前の、いわゆるdiaper式石積であることが判明した。しかしこの基壇にとりつけられた東西南北四面の階段は、主塔の東面に貼り付けられた祀堂の石積の形式からみて最末期における作り替えである。一方、この基壇を取り圍んでいる小塔群や祀堂群にももちろん造立の前後關係がある。マーシャルはこれをおおきく3時期のものとみている。初期がrubble,ついでdiaper,そして最後にsemi-ashlarというかれが分類した石積樣式である。マーシャルの設定した石積樣式の大筋はみとめることができるが、それぞれの樣式にはきわめておおくの型式があり、とくにrubbleとdiaper、diaperとsemi-ashlarなど各樣式の間の漸移的な型式をどちらの樣式とみるかによって、その石積をつかって建設された佛塔や寺院建築の年代が左右される。そこで本年度の調査のおおきな部分として、小塔群や祀堂群がどのような石積によって建設されているかを逐一記述し、スティル寫眞に撮影し、これを研究室内で圖面と對照しつつ、詳細に檢討するための基礎資料とした。このような實地の觀察のなかから既に、廣大なダルマラージカ-寺跡の建設の順序がすこしづつあきらかになっている。 ダルマラージカ-寺跡の北側に位置する僧坊地區には、G、H、Jの三つの僧坊とふたつの佛塔がある。マーシャルが認めていた編年はここではまったく通用しない。われわれの觀察と石積の研究からすると、これら僧坊はマーシャルがあたえたタキシラ佛教史再末期の年代(5世紀末)よりはるかに後の時代(8-10世紀)にまで亘って建築がおこななわれていたことが證明される。一方ふたつの佛塔のうち、ひとつは古い時代に削平されてしまうが、あとのひとつはここに述べた僧坊とともに延命することが確認される。これら佛塔の石積はみかけはきわめて古層に屬するが、ひとつははやくに消滅し、ひとつは補修をうけながら生き延びてタキシラ再末期に至る。 タキシラにはインド政廳時代の舊インド考古局が今世紀のはじめに發掘した、ダルマラージカ-寺跡を含む17の佛寺跡がある。さらにある程度の發掘をへたみっつの都市遺跡があり、そのうちシルカップ市街には佛塔がいくつか殘る。こういった遺跡にのこる佛塔のうち、一ヶ寺を殘してすべての佛寺の佛塔に關し、佛塔の特徴をよくあらわしている基部繰り形(base mouldings)の斷面圖を實測によって集成した。この基部繰り形は、タキシラ佛教の初期である石積rubbleの時代に2形式があらわれ、兩形式は同じ佛塔に併用されることなく、石積diaperの時代まで存續するが、石積semi-ashlarの時代になると、ひとつの形式は姿を消し、もうひとつの形式が低平な型式へと變化しつつ、さかんに利用され、さらに再末期には壯大な二重繰り形(double mouldings)となる。石積形式と基部繰り形形式とは相互に密接な關係があり、繰り形の變化を逐うことにより、從來石積の變化ばかりから逐っていた佛寺建築の編年におおきな役割を今後期待できる。 このようなタキシラ諸寺院跡を實地檢證によって再檢討するには自ずから限界がある。パキスタン考古局の努力にもかかわらず、遺構はすでに發掘から半世紀以上をへていること。さらに遺跡の現状と發掘者マーシャルの報告書の記述と相異である。このギャップを埋めるのは發掘當時に撮影された寫眞である。寫眞資料の多くは失われたが、一部はThe British Libraryが所藏しているので、これを調査した。さらにThe British Museumをはじめとするイギリス、あるいはインドの博物館においては、ガンダーラ彫刻にあらわれた佛塔資料を蒐集し、またタキシラやガンダーラの初期佛塔の形式研究の比較資料として西インドの石窟寺院内の佛塔資料を實地に蒐集した。
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