研究課題/領域番号 |
06041062
|
研究種目 |
国際学術研究
|
配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
坂野 昇平 京都大学, 大学院・理学研究科, 教授 (30019468)
|
研究分担者 |
榎並 正樹 名古屋大学, 理学部, 助教授 (20168793)
葉 凱 中国科学院, 研究員
住匡 明国 中国科学院, 副教授
従 柏林 中国科学院, 教授
WALLIS Simon 京都大学, 大学院・理学研究科, 助手 (30263065)
平島 崇男 (平島 祟男) 京都大学, 大学院・理学研究科, 助教授 (90181156)
石渡 明 金沢大学, 理学部, 助教授 (90184572)
石坂 恭一 京都大学, 人間・環境学大学院, 教授 (90025362)
CONG Bolin Academica Sinica, Beijing, China, professor
佳 明国 中国科学院, 副教授
|
研究期間 (年度) |
1994 – 1995
|
研究課題ステータス |
完了 (1995年度)
|
配分額 *注記 |
7,200千円 (直接経費: 7,200千円)
1995年度: 3,300千円 (直接経費: 3,300千円)
1994年度: 3,900千円 (直接経費: 3,900千円)
|
キーワード | 超高圧変成岩 / エクロジャイト / コース石 / 中国 / 蘇魯変成帯 / 中国東部 |
研究概要 |
上記の現地調査は平成6年秋・平成7年春の2回各2週間ずつ実施した。 (1)平成6年秋の現地調査 平成6年10月26日から11月9日まで日本側研究者5名(平島・榎並 Wallisと大学院研究協力者2名)、中国側からは明国・葉 凱・運転手2名・現地協力者2名と文部省の在外研究員として北京に滞在していた石渡が同行した。 この調査から、山東省の下部地殻岩の産状を正確に把握するため、露出状況のよい海岸部の調査に重点をおいた。特に青島市東方の仰口海岸・乳山市南方の海陽所海岸では、500分の1の精密地質図の作成に成功した。 (2)平成7年春の現地調査 平成7年6日11日から6月25日まで日本側研究者6名(平島・榎並・石渡・Wallisと大学院研究協力者2名)、中国側からは葉 凱・運転手1名・現地協力者2名が同行した。 この調査では、青島市東方の仰口海岸・乳山市南方の海陽所海岸での補足調査と、平成6年度に未調査であった、山東省南部地域の代表的地域の地質調査を実施した。 2.特筆すべき研究成果 (1)仰口海岸 仰口海岸から1992年の調査で変成花崗岩が見つかった。この露頭ではコース石エクロジャイトが出現することと、変成花崗岩の石英組織が西アルプスの超高圧変成花崗岩中の物に類似していた(Hijima et al.,1993)ので、再調査の実施が待たれていた。今回の野外調査と室内実験から、 a)変成花崗岩はコース石を伴うエクロジャイトと密接に伴う。 b)エクロジャイトと変成花崗岩の化学組成は連続的に変化するので、これらの岩石は初生的な火成複合岩体が変成したと考えられる。 c)変成花崗岩とエクロジャイトは後退変成時に、その周囲から変形し、高圧の鉱物組合せを失い、低圧型の片麻岩に変化していく。 ことなどが判った。 仰口海岸で見つかった超高圧変成作用を被った、変成花崗岩はアジアで初めて世界で2例目である。その地質の詳細は、Wallis et alで国際誌に投稿した。 (2)海陽所海岸 海陽所半島にはオフィオライトが産するとの研究報告があったので、現地を訪れた。半島地域をくまなく調査したところ、半島の南端部の海岸で、塩基性の変成岩(ざくろ石角閃岩)が花崗岩質片麻岩に取り囲まれて、最大十m径のレンズ状あるいは層状に産していた。この産状は山東半島地域では一般的、オフィオライトの存在は認められなかったが、ざくろ石角閃岩の一部に輝石を認めたので、半島南端部の一部の露頭の精密地質図を作成した。 その後の、室内実験で、比較的変形の弱いざくろ石角閃岩の中心部から a)鉱物組織解析からざくろ石角閃岩はグラニュイト相、エクロジャイト相角閃岩相の複変成作用を被ったこと。 b)エクロジャイト相の変成条件は石英・アルバイトが安定な領域で生じており、他の山東半島の超高圧エクロジャイトとは形成条件が明瞭に異なること。 などが明らかになった。 この岩石は山東半島の高圧変成帯の成因を考察するために重要であるので、その論文化を急いでいる。 国際研究集会など 平成6年12月に坂野はアメリカ合衆国・スタンフォード大学で開催された超高圧変成岩の研究集会に参加し、これまでの日本側の研究成果を発表した。その際、中国科学院・従教授と室内実験の進め方を協議し、中国側から若手1名が3月-5月に来日した。 平成8年3月に従教授を招待し、京都で日本側研究者とまとめの討論会をおこない、この2年間の成果を確認すると伴に、将来の研究方法について議論した。
|