研究課題/領域番号 |
06041065
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
庄武 孝義 京都大学, 霊長類研究所, 教授 (00003103)
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研究分担者 |
アフォーク ベケレ アジスアベバ大学, 理学部, 助教授
吾妻 健 帯広畜産大学, 畜産学部, 助教授 (40117031)
野澤 謙 中京大学, 教養部, 教授 (40023387)
平井 啓久 京都大学, 霊長類研究所, 助手 (10128308)
松林 清明 京都大学, 霊長類研究所, 助教授 (50027497)
ベケレ アフォーク アジスアベバ大学, 理学部, 助教授
岩本 俊孝 宮崎大学, 教育学部, 教授 (40094073)
河合 雅雄 日本福祉大学, 社会福祉学部, 教授 (10027477)
ツルハ アデフリス アジスアベバ大学, 理学部, 講師
森 明雄 京都大学, 霊長類研究所, 助教授 (50027504)
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研究期間 (年度) |
1994 – 1996
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研究課題ステータス |
完了 (1996年度)
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配分額 *注記 |
28,200千円 (直接経費: 28,200千円)
1996年度: 8,700千円 (直接経費: 8,700千円)
1995年度: 9,500千円 (直接経費: 9,500千円)
1994年度: 10,000千円 (直接経費: 10,000千円)
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キーワード | ゲラダヒヒ / マントヒヒ / 雑種ヒヒ / 南北エチオピア高原 / サウジアラビア / 遺伝的分化 / ミイラ / DNA分析 / 南エチオピア / 捕獲調査 / セミエン山岳地帯 / habituation / 遺伝的比較 / 北エチオピア高原 / 繁殖集団 / 遺伝的変異 / ゲラダヒヒの繁殖史 / 子殺し / 対捕食者戦略 / 採食行動 / 高地適応能力 |
研究概要 |
平成6,7年度には3人の社会生態学者が参加し南エチオピア高原のゲラダヒヒ(分担者 森明雄が1989年に新しく発見した)とマントヒヒそしてそれらの間の雑種ヒヒの調査に焦点がしぼられた。また、平成7年度には同時に研究協力者であるエチオピアからの国費留学生Gurja Belayが庄武の指示のもとに捕獲調査を行い3群から49頭のゲラダヒヒを捕獲し、採集した血液を日本に持ち帰り蛋白の遺伝的分析を行った。その結果、南高原のゲラダヒヒは社会生態学的に北高原のものとかなり異なることが判明した。北高原のゲラダヒヒは採食は高地平原を利用し、崖斜面は泊まり場と危険からの避難場所に利用しているだけだった。南高原のゲラダヒヒは、崖斜面を主たる棲み場所とし採食にも利用している。このため、南高原のゲラダヒヒは、各ユニット(単雄複雌)の独立性が高く北高原のものとはかなり異なった社会構造・行動が見られた。たとえば、北高原では1度も見られなかった子殺しが見られた。そのほか、北高原では補食者から崖に逃げるだけだったが、南高原ではヒョウに対するモッビング行動するのが見られた。これらの発見は、ゲラダヒヒ、およびヒヒ類のもつ重層社会の進化を考える上で重要な発見である。また、南高原のゲラダヒヒは蛋白の遺伝的分析の結果では北高原のゲラダヒヒが保有していない変異型をいくつか保持しており遺伝的距離がかなり大きく、マントヒヒとアヌビスヒヒの異種間のそれよりは同種内地方集団間では霊長類では最大で分化時間に換算すると約40万年と推定された。40万年間の距離が何によるのか興味が持たれる。 また、庄武は平成6年度は北高原東部のゴシュメダで平成7年度は北高原最高所で松林の高地適応の調査を兼ねて捕獲調査を、さらに平成8年度は菱田と共に北高原中央部で捕獲調査を行い、それぞれ19頭、75頭、26頭の血液資料を入手し、平成8年度の分を除いて蛋白の遺伝的分析を終えている。その結果と1978-1979年にかけて分析した北部高原最南端の4群から254頭分の分析結果を合わせて次のような推論を得ている。すなわち最北部最高所のセミエンの遺伝的変異性の高さとその濃密な分布状態(平成7年度にセミエン山岳地帯の最奥地を詳細に調査)とから、ゲラダヒヒは何らかの要因でセミエン山岳地帯(3000m以上の高所)に遺残種として残ったが、その集団はそんなに小さな集団ではなく普通の生物が保持している変異性を十分保持出来るだけの大きな繁殖集団であった。その後ヒトの出現によって森林の伐採による草原、耕地の拡大に適応し、bottle neckを通過し南下して現在の分布域を形成した。南高原のもその末裔だと推論していたが、南高原のものは仮説で説明できず、セミエン山岳地帯に遺残したが、同時に南高原の最高所に同時に遺残したと推察される。今後の各種DNA分析の結果が待たれる。 庄武は平成8年度にアラビア半島に生息するマントヒヒの起源を求めてイエーメン調査をする予定(前年に予備調査終了)であったが突然サウジアラビアの調査が実現、そちらを主体とした。サウジアラビアではアラビア半島西海岸に走る山岳地帯、あるいはその中に点在する都市近郊に非常に多数のマントヒヒを観察する。サウジアラビア人の研究者によると約25万頭生息しているという。エチオピアのもの(1975年度に庄武が捕獲調査により既に確認)が30kg(Adult♂)に比べ23kgと少し小型であるが外貌は殆ど変わらない。行動もエチオピアのものと比べるとかなり異なることが判明した。分布状態などからマントヒヒはアラビア半島で種分化し、その後アフリカ大陸に再移住した可能性も強いと推察された。そのために少数であるが血液を入手、日本に持ち帰り、蛋白とDNAを分析している。これで結果が不十分な時は将来の共同研究の確認を得ている。 この研究課題の主要テーマの一つであったゲラダヒヒとマントヒヒの自然残種集団の解析は政治状況悪化のために延期されたが飼育下での資料収集から可能性が極めて強く、以後の調査から雑種個体の識別が簡単になったので近い将来政治状勢が改善されるのを期待している。 マントヒヒの短時間の遺伝的変化を見るためにエジプトの遺跡から出土するミイラ(これは史記によるとエジプト王朝時代エチオピアから運んだ)と現代のエチオピアマントヒヒのDNAを比較する研究については共同研究をするという確約を得た。昨年交渉で資料を日本に少し持ち出ししても可ということであったが、博物館々長が替わり上記の事態になった。
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