研究分担者 |
ぜい 国耀 浙江省文物考古研究所, 良渚工作站, 副研究員
趙 輝 北京大学, 考古学系, 副教授
劉 軍 浙江省文物考古研究所, 副所長, 教授
巌 文明 北京大学, 考古学系, 教授
西谷 大 国立歴史民俗博物館, 考古研究部, 助手 (50218161)
倉林 真砂斗 城西国際大学, 人文学部, 講師 (90186495)
佐川 正敏 奈良国立文化財研究所, 発掘調査部, 主任研究官 (40170625)
中村 慎一 金沢大学, 文学部, 助教授 (80237403)
木下 尚子 熊本大学, 文学部, 助教授 (70169910)
RUI Guoyao Archaeological Institute of Zhejiang Province
ZHAO Hui Dept.of Archaeology, Beijing University
LIU Jun Archaeological Institute of Zhejiang Province
YAN Wenming Dept.of Archaeology, Beijing University
厳 文明 北京大学, 考古学系, 教授
王 明達 浙江省文物考古研究所, 考古室, 研究員
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研究概要 |
(1)本研究の初年度である平成6年度は,浙江省嘉興地区における良渚文化の38遺址を臨検調査し,そのうちから,既出土物と遺址の保存状態を勘案して,桐郷市所在の普安橋遺址を日中共同の発掘対象遺址として選定した。 (2)平成7,8年度は,普安橋遺址の発掘調査を行った。 (3)調査の初期に,発掘調査と併行して,普安橋遺址を中心とした500m四方内の地形測量を行った(1000分の1)。良渚遺址はつねに水路に囲まる中に立地しているものだという初年度の調査結果から,かつ水路内の範囲が往時の活動単位であったかもしれないという予測から,四方の水路の範囲内を測量した。良渚遺址の研究で,このような地形測量は,はじめてのことである。 (4)普安橋遺址は、〓沢期の文化層上に人工的に築かれた高台遺址で,墓葬と住居との複合遺址であることが知られた。つまり,従来理解されてきたような,良渚期の高台遺址が単純な墳丘墓であるとは限らないことを明らかにした。 (5)調査は,普安橋遺址の部分の南丘約500m^2を発掘し,良渚期に築かれた高台の規模,構造,築造法を明らかにした。南丘の良渚期の採集基檀は,東西50m,南北約20mの規模を有するが,これはより小さな基檀から時間とともに大きく成長していったものであることを確認した。すなわち,居住址F3が位置するとこれらは高台の中心部分であり,また核心部分である。ここにまず最初の基檀が築かれ,これに瓦並べのようにして土が寄せられて遺址東部の高台が拡大された。西部の高台が中央部の基檀に寄り掛かったものか,あるいは当初から中央部の基檀と一体のものであったかは,現在のところ不詳である。なお高台の増築は,追加される墓葬の築造に密接に関係していることを明らかにした。 (6)人工高地である故に,調査は,層位の把握に細心の注意を払った。平成8年度の調査終了時までに,5期の活動面を認識し,かつ出土する諸遺構を活動面毎に捉えている。このことは,各遺構から出土する土器を媒介として,少なくとも沢の晩期から良渚の早期にかけての編年研究に裨益するところ大なるものがあろう。 (7)遺構には,墓葬の他に住居址と灰坑がある。23基の墓葬を発掘した。うち6基は沢期の墓葬である。その余はすべて良渚期の墓葬であった。〓沢期墓葬の墓坑は浅く,棺槨の痕跡はない。良渚墓葬は,竪穴土坑墓であり,棺槨の構造がわかるような例がある。この棺槨構造が詳細に検討されたことは,本調査のひとつの成果である。さらに墓葬において人骨の出土がしばしばみられる。その保存状況は必ずしも形質人類学的分析にたえるほどではなかったが、良渚期における葬送儀礼上のひとつの特異な習俗が示された。すなわち,とくに良渚早期の墓葬において死体を損傷する俗がみられる。頭骨を破砕し,あるいは手首を切断して近くに置き,さらには上腕と下腕を関節部分で外したり,また四肢骨を偏平状になるまで押し叩いたりしているのである。このような遺体損傷の習俗と考えるべき報告は,従来の良渚文化研究においてみないものであり,これまた重要な発見であるといえよう。 (8)居住址では,F2とF3の2基においてその平面図が明確に検出され,構造が知られる良渚期の住居としてもっとも良好な資料となった。方形プランの四辺に壁槽を掘って,この中にさらに柱穴を穿っている。壁は,柱と柱の間を粗朶で張りその上を両面から土を塗りこんだ土壁であり,房内には柱を立てなかったかのようである。またひとつの高台遺址のなかに存在する住居と墓との関係は,平成8年度調査の時点ではなお未詳の部分がある。平面的にみて,住居址の上方にはそれと重複するような墓葬は存在しないが,その下方には,未掘部分であるが,墓葬が存在するようである。なお灰坑は,20余基が発見されていて,墓葬と深く関係しているようであるが,その性格は,残念ながら詳らかにすることができなかった。 (9)出土遺物には,墓葬からは玉器・土器・石器があり,とくに玉器には,古拙ながら,良渚玉器の特徴が認められ,玉龍などは良渚文化にとっての初見資料である。土器には,実用土器と墓葬土器との分けられるが,これらは良渚文化の土器編年に有効である。 (10)諸地点から採集された土壌の理化学的分析が現在行なわれている。 (11)普安橋遺址の調査は,未完であるが,中国側から良渚文化の重要遺址として,調査の継続が強く求められている。引き続けて調査を行う予定である。
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