研究概要 |
キネシンはATPをエネルギー源として微小管にそった滑り運動を担う運動性蛋白質である。はじめは神経軸索輸送にあずかる酵素として発見されたが細胞内輸送機構や細胞分裂など他の重要な機能にも関係した蛋白質であることがわかってきた。おなじような運動性蛋白質であるダイニン(鞭毛繊毛や神経軸索に存在)やミオシン(筋肉)と同じように運動のメカニズムは不明な点が多い。近年の遺伝子工学的な手法の発達にともない分子のアミノ酸1次配列を人為的に変えて運動性に重要な影響を与える配列を調べてゆくという研究が現在各国で始まりつつある。このような研究の進展にともない機能を詳細に確かめる手段,つまり,運動を分子スケールの精密さで解析する手段がますます必要になってきている。この研究の目的は,2つの技術をすでに実用化している日独2つの研究室の間の共同研究の形でこの研究を効率的に進め,運動の分子機構を解明することである。 まず,本研究ではブタ脳から従来の手法で抽出精製されたキネシンと形質転換させた大腸菌から精製し頭部ドメインの340〜390個のアミノ酸(運動活性の中心と考えられている箇所)との間での運動活性を詳細に比較する実験から始めた.この研究は主にドイツ側での実験設備(微分干渉顕微鏡と画像処理装置)を使用して行われた.ここで使用したキネシンの頭部ドメインは微小管結合部位,およびATP結合部位を有するモーター活性ドメインではあるが,そのままでは運動の有無を調べることはできない.これまでの手法ではこの頭部ドメインのC端側あるいはN端側に別のアミノ酸配列を追加し,この部分をマイクロビーズやガラスに付着させる方法がとられている.この手法の欠点は付加するアミノ酸配列の種類によってはモーター活性が失われたり,極めて低い活性しか見られないケースがあり,付加したペプタイドの2次的な影響を無視できない点である.これは頭部ドメインのアミノ酸の中でどの残基が重要であるかを今後調べて行くとき実験結果の解釈上の難点となる.可能な限り別のアミノ酸配列を付加させずに運動活性を調べる手法をまず開発することが研究をすすめる上で重要である. 本研究で試みた手法は,ブタ脳から精製されたキネシンと大腸菌キネシン頭部ドメインとのインビトロ競合実験である.大腸菌キネシンの濃度を上昇させることでブタ脳キネシンによる運動速度は減少し,大腸菌キネシンの頭部ドメインの速度に漸近してゆくことがわかった.特にキネシン頭部ドメインN端側340個アミノ酸のペプタイドでは毎秒約0.05μmの速度となり,この部位がブ脳キネシンの約1/10の運動活性を示すことが示唆された.この手法のコンピュータシミュレーション結果との比較,別のアミノ酸配列ペプタイドの比較は今後の重要課題であると考えられる.特に重要な働きを持つと考えられるアミノ酸残基を入れ替えたとき,簡便にその運動活性の有無を検査できる手法として利用できる可能性がある. 上のような実験と平行してキネシンと微小管との相互作用を計測する装置の開発を主として日本側の研究室で行ってきた.nm〜pmの精度で運動の解析をおこなう上でのもっとも重要な課題は,機械的な振動ノイズに対する対策と光学顕微鏡の改良である。光学ベンチなどの除振台は数Hz以上の振動を防ぐ手段としてはきわめて有効であるが,より低い周波数の振動が問題になることが多い。本研究では光学顕微鏡下の極めて微小な運動を計測し解析できる新しい光学顕微鏡計測システムを試作した.市販の光学顕微鏡は通常のプレパラート観察のために操作性を重視した設計となっているために本研究の様な精度を達成するには不向きである.そのため新しく光学系を設計することから研究を開始した.レンズ系を簡略化した水平式の光学顕微鏡とすることで上の目的に適した装置を完成させることができた.また,レーザー光源の使用による計測精度の千倍以上の向上,顕微操作技術との組み合わせなど改良も行った.この新しく開発された装置を使用し微小管関連タンパク質であるタウタンパク質と微小管との相互作用,とくに微小管の上でどのようなブラウン運動をしているのか,結合解離のダイナミックな変化を生理的な条件下で調べる実験を現在進めている.
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