研究概要 |
1)1995年7月21日〜8月2日(12晩)Bystrovka村とZavyalovo村の中間にあるオビ川沿いのキャンプ場(B地点)および8月4日〜8月6日(2晩)アカデムゴロドク市にあるロシア科学アカデミー動物系統学生態学研究所のステーション(A地点)においてトガリネズミ科食虫類の採集を行なった.両地点はノボシビルスク湖畔にあり直線距離で約50km離れている.小哺乳類の採集には2種類のピットフォール・トラップ(直径10cm,深さ17cmおよび直径8.5cm,深さ13cm)それにアルミ製シャーマンライブ・トラップ,パンチュー・トラップを用いた.両地点で採集された小哺乳類は152個体で,そのうち食虫類は124個体であった.種名を挙げてみるとSorex araneus,Sorex caecutiens,Sorex minutus,Sorex isodon,Sorex tundrensis,Neomys fodiensおよびAsioscalops altaicaおよび未同定のSorexが採集できた.これらロシア産食虫類について日本産と比較を行うことによって,その特徴および実験動物として有用性についての評価を試みた. 2)ヨーロッパトガリネズミSorex araneusはイギリスからロシアのバルカル湖まで広く分布している.われわれの調査でもSorex araneusが最も多く採集され,ついでSorex minutusが多く採集された.Sorex araneusの自然集団には多様なRobertsonian chromosomal variationが含まれている.われわれが調査を行ったノボシビルクス産と約200km北のトムスク産とはロバートソン型変異があり,両者のハイブリッドゾーンが見つかっている.ロバートソン型変異に関しては比較的飼育繁殖の容易なトガリネズミ科ジネズミ亜科のジャコウネズミSuncus murinus(スンクス)でも見い出されており,Sorex araneusと同じように高精度分染法により標準核型と癒合している染色体を確定した.また1と組ごとの系統も育成しつつある.Sorex araneusおよびSuncus murinusは染色体不分離によるヒト疾患の有力な動物モデルとなるであろう.しかしながらSorex araneusは野外では多数の個体が容易に採集できるのに
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もかかわらず,実験室内では安定した繁殖集団を育成できないままであり,今後の課題として残っている. 3)日本産トガリネズミ属には北海道産のエゾトガリネズミSorex saevus,本州産シントウトガリネズミSorex shinto,佐渡島産サドトガリネズミSorex sadonisが含まれる.これらがロシア産のSorex caecutiensとどのような関係にあるかについて諸説があった。そこで頭骨形態の測定値をもとに多変量解析を行ったところエゾトガリネズミはロシア産Sorex caecutiens,またサドトガリネズミはシントウトガリネズミと近縁であり,この4種は同じグループに属することがわかった. またトガリネズミ属のロシア産Sorex caecutiens,本州産Sorex shinto,北海道産Sorex saevus,佐渡島産Sorex sadonis,北海道産Sorex unguiculatusについてミトコンドリアDNA,核リボゾームDNA,チトクロームbの塩基配列からみた分子系統について検討した.その結果,Sorex shintoとSorex saevusとはmtDNAのRFLPでは差がなく,rDNAのRFLPではSorex shintoとSorex sadonisとの差も見られなかった.ロシア産Sorex caecutiensと本州産Sorexとの間のsequence divergence (Po)をみてみるとmtDNAで1.98%、rDNAで0.68%,チトクロームbで6.39%となり,両者は別種とする報告を支持した. 4)ロシア産のトガリネズミ類の内部寄生虫の検索では2種類の新種を含む11属13種の条虫をみいだし,追加の標本からさらに4種の条虫をみいだした.またヘリグモソーム線虫の検索では1種が見い出された.しかし日本産トガリネズミ類との類縁関係を議論するにはこれらのデータだけでは不足である. 5)スクラーゼ活性に着目してロシア産トガリネズミ類と日本産トガリネズミ類とを比較検討した.日本産のものを調べてみると,ジネズミ亜科のニホンジネズミは全てスクラーゼの活性がみられ,ジャコウネズミは長崎産および多良間島産を除いて活性がみられた.長崎産および多良間島産については1つの遺伝子の突然変異によって支配されていた.一方トガリネズミ亜科6種(エゾトガリネズミ,ヒメトガリネズミ,オオアシトガリネズミ,アズミトガリネズミ,シントウトガリネズミ,サドトガリネズミ)には酵素活性がみられなかった.ロシア産をみてみるとジネズミ亜科のCrocidura sibericaは酵素活性みられ,トガリネズミ亜科のSorex caecutiens,Sorex araneus,Sorex minutus,Sorex isodon,Neomys fodiensはスクラーゼ活性がなかった.したがって採集したトガリネズミ亜科すべての種およびすべての個体においてスクラーゼ活性が欠損しており,新たな疾患モデル動物の候補となりうることが考えられた.また二糖類水解酵素活性はジネズミ亜科動物で一般的には存在し,トガリネズミ亜科ではいままでのところ例外なく酵素活性はなく,その有無がジネズミ亜科とトガリネズミ亜科とを区分する1つの指標にできる可能性が考えられた.また日本産のコウベモグラ,ヒミズモグラ,ヒメヒミズモグラについては低いながらも酵素活性がみられたがロシア産モグラAsioscalops altaicaには酵素活性がみられなかった.ヒトにおいてはさまざまなスクラーゼ酵素活性の欠損症が報告されているが,これらの動物の酵素活性の欠損はさまざまな型の疾患モデル験動物を開発できる可能性を示しており,今回のプロジェクトにおいてトガリネズミ科食虫類の実験動物としての有用性を明らかにすることができた. 6)今回の研究プロジェクトではロシア産トガリネズミ類と日本産トガリネズミ類との類縁関係を形態学,寄生虫学,分子系統学などの側面から探ることによって,生物学的基礎データを蓄積すること,そこから新たな実験動物を開発できるのではないか,という可能性を検討したものである.既に述べた2)から5)までの各項目にみるように,今回のプロジェクトでかなりのデータをうることができ,また多数の論文発表をおこなうことができた.実験動物の開発という観点からはスクラーゼ欠損および染色体変異という面でトガリネズミ科食虫類の魅力がより明瞭になった,と結論できるであろう.しかし一方では,生物学的にも研究不十分な点や新たな課題が提起されることとなり,今後の研究プロジェクトの進展が期待されている. 隠す
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