1.戦後復興のための基礎資料として、また賠償交渉の基礎資料として、昭和22年から24年にかけて調査が行われた経済安定本部『太平洋戦争被害調査』の資料集の出版を行うこととなり、その編集を行い、また解題論文を執筆した(発表図書を参照)。 2.戦後の外資導入政策に関して、沖縄の外資導入の経緯を検討した。 (1)沖縄は、復帰直前に工業化を目指して大型外資導入を計画した。これはアメリカ占領下の沖縄の製造業が脆弱だった点を補うためにとられた政策であった。 (2)昭和25年、アメリカ軍政府は沖縄の為替レートを1ドル=120B円の円高レートに設定し、軍事基地拡張整備と沖縄復興に必要な大量の物資を安価に輸入することを図った。B円高と安価な物資の大量輸入という枠組みの中で、沖縄の製造業は脆弱性の克服がきわめて困難になった。本土の軽武装と経済中心の発展と、沖縄の軍事化と製造業の脆弱性は、日米の安全保障体制の中で組み合わされた関係にあった。 (3)沖縄政府は、昭和43年から45年にかけて石油精製、電子部品、アルミ精錬などに関する大型外資導入を許可し、工業化を目指した。これに対し本土政府・関係官庁・経済団体は、これらの外資導入は復帰後に業界の秩序を乱し日本企業の存続を危うくするものとして手厳しい規制を加えた。経済団体はアルミ精錬においては本土主要企業による外国資本にもまさる大型投資を提案して、外資導入との相殺を図った。結局沖縄の外資導入はほとんどが実現せず、沖縄の製造業の育成はさらにに遅延することとなった。
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