研究概要 |
言語使用の基本は対話モードであり,話し手と聞き手の間には語用論的な,いわば認知の場が形成される.両者の対話の成立には時空間的な指示表現の相互了解が不可欠である.この場合,話し手の環境表現のデフォールト値は「私・今・ここ」である.発話は言語に依存した認知の場という制約の下で行なわれるが,このような制約とその環境での基本設定値からの逸脱の性質を明らかにすることが対話文の構造の解明のための作業である,例えば,時制の使用で,「ありがとうございました/ます」や英語の会話の締めくくりでの,「It was nice meeting you/It's nice to meet you」などの対比において対話者間にどのような時空間が想定されているのであろうか,話し手の時制の選択の依存する場の性質を統一的に説明する必要があると思われる.本研究では日本語と英語について,話し手,聞き手の知識構造と認知場を想定し,その中で適切な時間の直示・照応表現を生成できる仕組みを考察し,対話者間の知識構造と認知の場を前提とした時間の直示・照応表現の生成モデルを構成する. 標記題目での研究の出発点として本年度は「A.時間副詞に付く格助詞「に」の生起要因」,および「B.情景描写文における時制辞の機能」の2点を中心に考察を行った. Aにおいて,次のようなことが明らかになった.時間指示表現において,近接の直示表現は,「に」と共起せず,さらに,絶対的表現が近接の直示表現に代わって現れる場合,「に」と共起しない.時間名詞の「今」への近接性は時間幅の認識をもたらす.直示以外の表現においても,時間幅の認識が生じる場合,「に」の生起が妨げられる場合がある.このような観察から,時間直示表現において,「に」の生起を妨げる要因は,直接には時間幅の認識であり,名詞の相対性ではない,時間名詞の「今」への近接性が,時間幅の認識に関わっている,ことが推察される. Bでは,情景を描写するテキスト内での時制辞が認知的にどのような機能を持つかを探ってみた.その結果,日本語の述語の語彙的意味と時制辞「る,た」の結合が,描写対象としている情景に時間の進行と空間的なふくらみをもたらす働きをしていることがわかった.多くの現代作家の文章を対象に分析を行ない,まず述語の意味を状態性,動作性,および変化性について分類し,これらの述語が,過去の一定区間を区切って観測すると時間に関してそれぞれ不変,依存,および半依存の特性を持つことを述べた.そして,動作述語と変化述語の過去形が時間を進めることで新しい情景を起動し,その情景内での空間描写を状態動詞が受け持つ,という役割分担をしている.また,状態動詞の時制辞に関しては,現在時制辞がすでに描写対象となっている事物の空間描写を行なうのに対して,過去時制辞は描写対象を変更する働きをするのではないかと考えている.
|