研究概要 |
1.動詞語根の意味を「〈結果〉をもたらす〈ハタラキ〉」(phalanukulavyapara)と規定し,たとえばkarakaのひとつである〈目的〉(karman)を「〈結果〉の基体」(phalasraya),〈行為主体〉(kartr)を「〈ハタラキ〉の基体」(vyaparasraya)として説明する新文法学派の意味論的パラダイムが,PatanjaliのMahabhasyaに確実に遡り得ることが明確となった. 2.Bhattoji Diksitaは,名詞接辞の意味として〈基体〉(asraya)・〈基点〉(avadhi)・〈志向対象〉・関係を定立し,究極的には,karakavibhaktiの意味は〈能力〉であるとする. 3.「行為を産みだす要素」であるkarakaを〈能力〉(sakti,samarthya)とみなすkaraka理論においては,言葉に対する対象的世界(意味の世界)の諸事象は,多様な〈能力〉の複合体とみなされる.単一なる事象もそれが参与する〈行為〉に相関して,〈基体〉であったり,〈手段〉であったり,〈目的〉であったりする.この点に〈話者の意図〉(vivaksa)の理論の成立の根拠があった.どの〈能力〉のアスペクトを捉えるかに応じて多様な言語表現が可能となるのである.言語表現に〈話者の意図〉という契機が存することは,すでにKatyayanaによって認められていたが,新文法学派においてはkaraka理論の基盤をなすひとつの重要な要素となっている. なお,〈能力〉としてのkaraka観に関して,文法学派(特にBhartrhari)における〈能力〉そのものの存在論についてのさらなる検討が今後の課題とならざるを得ないように思われる.
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