研究概要 |
一九三〇年代から四十年代における中国は,政治勢力の支配が国民党と共産党に大きく二分され,それぞれの支配地域では,政治運動を軸に,文化、社会、教育、女性などに対する新しい思潮が生まれた。 三十年代前半に始まった「婦女回家(女は家庭に帰れ)」論争は,社会に出た(或は出ようとする)女性を家庭に引き戻し,家事や育児に専念させる,いはば社会と家庭における性別分業推進論であり,主に都市部において当時のフェミニズム論争の中心的テーマとなった。このテーマは,四〇年代にはいって再燃するが,1937年の日中戦争の始まりを契機に一時姿を消す。 そのあとを引き継ぐように出てきたのが,新良妻賢母主義論争であった。今回の研究は,まず従来の良妻賢母主義が,中国ではどのように近代女子教育に採用されたか,また新良妻賢母主義との相違はどこにあるか,を明らかにすることにあった。今までのところ,それらの考えと教育との関係については,欧米の近代思想の受容と日本の女子教育の理念を視野に入れなければならないことが明らかになっている。 これらの考察のなかで,啓蒙的な役割を担った女性向けの刊行物の出版に関してまとめる必要性を感じ,とりあえず小論を試みた。ここでは,その刊行が女性解法の内容の変化と即応していることをあきらかにし,しかも女性運動と同様に軍事や政治状況の変化に従っていること、特に抗戦期においては,中国共産党と国民党のそれぞれが方針を立てて,女性対象の刊行物を出したことなどが特徴として上げられることに言及した。 今後,引き続き,前述した視点をもって,『婦女生活』『婦女共鳴』などを中心に(新)良妻賢母主義をめぐる論争と当時の国民党の文化政策や復古運動及び新生活運動との関連などを考察する。
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