研究課題/領域番号 |
06610155
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
社会学(含社会福祉関係)
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研究機関 | 山形大学 |
研究代表者 |
舛田 忠雄 (桝田 忠雄) 山形大学, 教育学部, 教授 (10004110)
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研究期間 (年度) |
1994 – 1996
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研究課題ステータス |
完了 (1996年度)
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配分額 *注記 |
1,800千円 (直接経費: 1,800千円)
1996年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
1995年度: 400千円 (直接経費: 400千円)
1994年度: 900千円 (直接経費: 900千円)
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キーワード | 漁業都市 / 漁船動力化 / 漁業経営漁家 / 漁業労働者 / 工業都市 / 地域開発政策 / 商港 / 近代漁業 / 漁業港地 / 大型経営漁家 / 漁村 / 漁業協同組合 / 遠洋漁業 / 漁民層分解 |
研究概要 |
本研究は、東北地方の漁業都市の明治以降の歴史的展開を社会学的に明らかにすることを目的とした。その場合、漁業都市の展開を周辺漁村との関連から把握することを試みた。研究対象地とに、宮城県石巻市と気仙沼市を選定している。 この地域においても、明治末期の漁船の動力化によって近代漁業が急速にすすんだ。しかし、それは同時に少数の動力船所有者と大量の漁業労働者を創出する契機ともなった。両都市とも三陸沖漁場に近く、漁業都市としての立地条件には恵まれていた。しかし、両都市が置かれていた地理的条件は、鉄道が敷設され、道路網が整備される昭和初期までは、内陸の消費地とは隔絶された都市としてあった。 石巻市の場合、北上川沿岸の物資や牡鹿半島に点在する漁村の水産物を、遠く東京大阪にまで運び出す商業都市であったが、物資の運輸が鉄道を利用することによって、商業都市としての役割を喪失し、漁業都市の転換を迫られた。そして第二次大戦後、国の地域開発政策ともあいまって、工業港の整備を推進し、工業都市へのさらに性格を変え、今日にいたっている。 一方気仙沼市は、むしろ、周辺漁村が漁業生産を著るしく発展させていったことによって、気仙沼市団体は、これらの周辺漁村を商圏とする商業都市としての性格をもった。同時に、三陸沖漁業の根拠地としての性格を強めていった。漁港が整備され、水産市場も設置されることによって、やがて、周辺漁村の漁業経営者は次々と事務所を市場周辺に移した。気仙沼は、こうして、漁業都市としての性格をもう続けている。
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