研究概要 |
本研究は,近世期に12回来日した朝鮮通信使と,日本側の学者・文人らとの学術文化交流の諸相とその特質,さらには近世のわが国の学術に与えた影響を考察するための基礎作業として,筆談・唱酬等の史料を調査・収集し,時代・地域別に整理してデータベース化することを目的とした。しかし関係史料は厖大な量にのぼり,研究期間内に全貌を掴むところまでいかず,瀬戸内海地域の史料の確認を第一義とした。その間に史料を検討して得られた成果は下記の5点である。 1.安芸・備前地域の交流の実体を知るため,まず通信使の紀行文の翻訳を行い,『館報・入船山』第6号に公表した。 2.広島藩における通信使応接の実態を研究した。その結果,藩および民衆の負担は莫大なもので,藩は強い幕府の指示を守り,通信使と民衆との交流を制限しようとしたが,民衆は強い関心を示したことが具体的に明らかとなった。 3.通信使との関係は,従来言われるごとき「善隣外交」とはいえず,通信使と日本人学者との交流のみが友好的であったといえる。ただし時代によって差があることがはっきりした。 4.18世紀末の朱子学正学化の動きに,通信使との交流が大きくかかわっていることを明らかにした。 5.民衆の朝鮮国や朝鮮人への差別意識が18世紀の中頃に形成されたことを明らにした。 なお,史料のデータベース化は今後も継続する。近い将来,瀬戸内海地域の研究者を組織して,朝鮮通信使の歴史的意義を解明する総合研究を行うつもりである。
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