研究課題/領域番号 |
06610312
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
下向井 龍彦 広島大学, 学校教育学部, 助教授 (60171005)
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研究期間 (年度) |
1994
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研究課題ステータス |
完了 (1994年度)
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配分額 *注記 |
1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
1994年度: 1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
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キーワード | 兵士制 / 軍拡 / 軍縮 / 新羅 / 庸・雑徭 |
研究概要 |
日本律令軍制は、1戸1兵士=「公戸」皆兵制の大規模軍制であるが、それは、新羅に朝貢=従属を強制することを目的に建設されたものであった。この点に着目するなら、律令軍制の展開は、新羅との外交関係の展開と密接に関連する軍事政策の展開(軍拡と軍縮)としてとらえられる。そこで8世紀の軍事政策の展開を通観してみると、7期に区分することができ、それは概ね政権交替と連動し、軍拡と軍縮を交互に繰り返している。すなわち、第1期:律令軍制整備期(藤原不比等政権)。大宝軍防令にもとづく律令軍制の運用がスタートする時期。対新羅関係は安定。第2期:第1次軍縮期(長屋王政権)。新羅関係の安定をふまえて兵士数削減。軍縮がもたらした庸・雑徭の増収が、平城京建設(四大寺移転)事業・条里制にもとづく大規模開発事業を促進。第3期:第1次対新羅臨戦態勢期(藤原4子政権)。渤海との軍事同盟にもとづき、渤海の唐領内侵攻支援のため軍拡、軍事的威嚇によって新羅の対唐支援出兵を牽制。新羅との従属関係強化をはかるが、逆に対新羅関係険悪化。第4期:第2次軍縮期(橘諸兄政権)。天然痘禍復興政策の一環として兵士全廃。1、5倍に増大する雑徭で農村復興をはかり、1、5倍の増収がみこまれる庸を財源に、新都(恭仁京・紫香楽宮)建設・大仏造立・東大寺建立などが推進された。新羅は対等外交を展開。第5期:第2次対新羅臨戦態勢期(藤原仲麻呂政権)。兵士制を復活させ軍拡を推進、新羅に従来どおりの朝貢を要求。渤海と連携して新羅侵攻作戦を計画、戦争による対新羅関係の決着を意図するが、準備過程の過重負担で挫折。第6期:律令軍制放置期(道鏡政権・光仁朝)。新羅侵攻中止後、軍備放置。国司軍穀による兵士の公然私役など、自己崩壊が急速に進行。新羅は対等外交を展開。第7期:律令軍制解体期(光仁朝末期・桓武朝)。宝亀11年(780)、新羅との外交関係の解消を背景に、大規模軍縮が行なわれ、延暦11年(792)、対蝦夷戦争のまっただなかで兵士制は全廃される。以上の概要に示した本研究の成果は、残念ながら年度内に公表することはできなかったが、近い将来日本律令軍制の展開過程」「日本律令軍制の解体」の2編の論文にまとめ、公表する予定である。
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