被爆50周年を迎え、行政・被爆者団体・被爆者個人の間で、被爆者行政や個人史あるいは原爆被爆(投下)の意味などを跡づける多くの試みが叢出した。また、アメリカ・スミソニアン協会の被爆資料展示中止問題をめぐり、日米両国の間で、さまざまな論議が巻き起こった。 本研究の目的は、広島大学原医研国際放射線情報センターの所蔵する原爆被爆者対策関係資料の整理を行うとともに、行政諸機関や各地の被爆者団体の資料の収集を行い、日本の原爆被爆者対策の歩みを、資料に基づいて跡づけることであった。今回、情報センター所蔵資料の整理とともに、以上の動向の中に現れた様々な歴史資料の所在の確認と整理にも力を注いだ。 原爆手記については、情報センター所蔵のものに広島・長崎・東京・福岡・山口の各都県にある公共機関・被爆者団体所蔵のものを加え、1995年までに発行された掲載書誌3542件の目録を作成することができた。 一方、被爆者行政関係の資料については、当初、戦後50年間の歩みを示す基本資料の目録と年表の作成を考えていた。しかし、作業が進むにつれ、資料の量のみならず整理のための作業量の膨大なことが明かとなった。そこで、時代を追って作業を進めることとし、今回、広島・長崎の被爆からビキニ水爆被災事件の発生により被爆者問題が国民的課題として登場するまで、つまり1945年8月から1953年までの資料を整理し、報告書を作成した。
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