純祖6年に安東金氏の世道政治(外戚政治)が成立してから、純祖が死去するまでの時期(1806〜1834年)における政権上層部の党派別・姓氏別構成を分析し、当該時期における権力構造の特質を検討することを目的として、史料の収集・調査を行った。1806年2月から1834年11月までの時期に中央の重要官職に就任した者を、主として『承政院日記』に基づいてリスト・アップする調査を行い、1806年2月から1812年までの時期の分について終了した。この調査を行う途中で、当初の計画よりも時間が要することが判明したので、議政治の議政と六曹の判書に限定して、『純祖実録』に基づいてリストを作成し、議政・判書就任者のみについて党派別・姓氏別構成を分析し、政権の中枢部の特質を検討した。また当該時期に活躍した文臣官僚などの文集を購入したほか、東京の東洋文庫に所蔵されている文集・族譜類のうち、当該時期に関係するものを閲覧し、必要な情報の収集を行った。 以上の研究によって得られた新たな知見は、次のとおりである。(1)議政・判書の党派別構成は、老論56.9%、少論34.9%、南人5.5%、北人2.7%である。正祖年間(1776〜1800)には老論52.6%、少論36.8%、南人3.0%、北人3.8%、純祖初期(1800〜1806年1月)には老論53.5%、少論41.9%、南人4.6%、北人0であったのに比較すると、老論の勢力が少し拡大している。(2)議政・判書の姓氏別構成においては老論の安東金氏が12名を数え、他の姓氏を大きく引き離している。正祖年間・純祖初期には一つの姓氏が群を抜くことはなかったから、安東金氏の世道政治の成立がもたらした新しい特徴と言うべきである。 今後は、重要官職のリスト・アップの作業をできるだけ速やかに完了させ、政権上層部の党派別・姓氏別構成の分析を完結させることとしたい。
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