研究概要 |
1.珠江デルタ農村に形成・展開された民間社会について,堅固な基盤に立脚した,そしてリアリティのある像を構築するには,社会の底辺に位置する集落レヴェルの実態解明は不可欠である。珠江デルタのうち,資料が豊富な「西北江老三角州」を検討した結果,(1)「近接する人家の間に地縁的な社会結合が認めれるもののうちの最小単位」を集落と定義するなら(これは現代中国で自然村と呼ばれる概念にほぼ相当する),該地域では,「社」或いは「坊」というタ-ムで支持されるものが,集落=自然村に該当すること;(2)国家側が把握する行政村は,ほぼ1930年代までは,これら集落の単一体,もしくは複数の自生的結合体であること,等が判明した。 2.次に,順徳県の自然村および行政村とその周辺農地との関係について,地図資料を活用して考察した結果,(3)19〜20世紀の該地域では,行政村のみならず自然村も,境界と領域を有すること;(4)境界・領域の性格については,境界は固定的安定的なものではないこと;(5)領域の領有主体と,堤防などの開発主体とは密接に関連すること;(6)1945〜49年の内戦期に現象した「霸耕」からは,ある自然村の領域内農地は,他の自然村の者が所有権をもつことはできるが,その経営耕作は自村の村民に限定されること(つまり該自然村が排他的耕作権を有すること),等を導きだした。 3.戦後日本の中国史学界では,現在に至るまで,旧中国における「村落共同体」の不在がほぼ通説として受け入れられている。そして,不在論の有力な論拠は,「村の境界」および「村の領域」の欠如の指摘であった。したがって,本研究の成果は,旧中国の村落の性格に関する再検討ほ迫るものと言えよう。なお、境界・領域の性格は,開発の諸段階に応じて変化しうる可能性が高い。今後は,この点に留意して考察を進めていきたい。
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